東京高等裁判所 昭和57年(う)1978号 判決 1986年5月14日
目 次
主文
理由
第一 弁護人の控訴趣意
(一) 不法に公訴を受理した旨の控訴趣意
(二) 若狹、藤原の検察官に対する各供述調書の信用性及び証拠収集の違法性に関する控訴趣意
(a) 右各供述調書の信用性を論難する論旨
(b) 若狹の検察官に対する各供述調書の録取状況、加除訂正状況についての論旨
(c) 若狹の検察官に対する昭和五一年八月一七日付供述調書についての論旨
(d) 証拠収集の違法性についての論旨
(三) 本件閣議了解具体化作業全般に関する事実誤認の控訴趣意
(a) 右作業の着手時期についての論旨
(b) 本件閣議了解具体化作業が最終的には大臣通達の形となることが予定されていたとの原判決の認定についての論旨
(c) 右作業における被告人の公平さについての論旨
(四) 第一次佐藤案に関する事実誤認の控訴趣意
(a) 事務局素案との関係についての論旨
(b) 日航をつんぼさじきにおいたことについての論旨
(五) 不定期とチヤーターの関係に関する事実誤認の控訴趣意
(六) 第一回請託に関する事実誤認の控訴趣意
(a) 大型機国内線導入時期に関する事務当局の既定方針についての論旨
(b) 大型機の昭和四八年度国内線導入には全日空の同意が必要であつた旨の論旨
(c) 東亜国内航空の修正意見についての論旨
(d) 本件閣議了解具体化作業と大型機国内線導入問題との関連に関する全日空の認識についての論旨
(e) 第二次空整との関連についての論旨
(f) 日航の沖縄線B―七四七LR導入計画についての論旨
(g) 右導入計画の意図等についての論旨
(h) 右導入計画と昭和四七年三月二二日の航対委の反対意見との関連についての論旨
(i) 東亜国内航空の幹線参入能力についての論旨
(j) ダブル・トラツキングと東亜国内航空の企業能力についての論旨
(k) 結語
(七) 幹線増便基準に関する事実誤認の控訴趣意
(八) 第二次佐藤案に関する事実誤認の控訴趣意
(a) 事務当局案との関係についての論旨
(b) 大型機導入時期に関する記載と東亜国内航空の修正意見との関連についての論旨
(c) 幹線増強基準に関する記載についての論旨
(d) ダブル・トラツキングに関する記載についての論旨
(e) 近距離国際線に関する記載についての論旨
(f) 自民党の党議等との関連についての論旨
(g) 結語
(九) 第二回請託に関する事実誤認の控訴趣意
(a) 第二次佐藤案の入手経路についての論旨
(b) 被告人秘書保管の第二次佐藤案等の欄外書き込みについての論旨
(c) 若狹らの捜査段階における供述と町田の捜査段階における供述との関係についての論旨
(d) 第二次佐藤案と日航との関係についての論旨
(e) 結語…
(一〇) 第三回請託に関する事実誤認の控訴趣意
(一一) 大臣通達の評価に関する事実誤認の控訴趣意
(a) 国内線大型機導入問題についての論旨
(b) 近距離国際線問題についての論旨
(c) ダブル・トラツキングについての論旨
(d) 東亜国内航空幹線参入問題についての論旨
(e) 幹線増便基準についての論旨
(f) 大臣通達が全日空にとつて有利なものではないとする論旨
(g) 被告人と事務当局との対立についての論旨
(一二) 本件金員の支払主体に関する事実誤認の控訴趣意
(一三) 本件金員収受に関する事実誤認の控訴趣意
(一四) 本件金員の賄賂性及び被告人の賄賂性の認識に関する事実誤認の控訴趣意
(a) 本件金員の賄賂性及び被告人の賄賂性の認識についての論旨
(b) 本件金員は供与先等との関連からして過去の行為に対する報酬の趣旨を含んでいないとの論旨
(c) 二階堂、佐々木、福永、加藤に供与され、竹下、丹羽、保利、古屋らに供与されていないことについての論旨
(d) 丸紅の裁量権についての論旨
(e) 営利会社は約束をしていない場合には過去の行為に対して謝礼を出すことはない旨の論旨
(f) 若狹がじ後に本件金員配付の確認をしていない旨の論旨
(g) 副島の捜査段階における供述の信用性についての論旨
(h) 被告人が本件金員を選挙資金たる政治献金と理解したとの論旨
(i) 政治資金規正法との関係についての論旨
(j) 二〇〇万円が多額ではない旨の論旨
(k) 若狹の本件金員に関する認識と被告人のその点の認識との関連についての論旨
(l) 原判決の説示に齟齬があるとの論旨
(一五) 法令適用の誤りを主張する控訴趣意
第二 検察官の控訴趣意(量刑不当)
略語表
被告人 佐藤孝行
昭三・二・一生 衆議院議員
主文
本件各控訴を棄却する。
当審における証人亀山泰二、同若狹得治及び同藤原亨一(但し、第四回及び第五回公判期日出頭分)に支給した分、ならびに同藤原亨一(但し、第一回及び第二回公判期日出頭分)に支給した分の二分の一は被告人の負担とする。
理由
本件各控訴の趣意は、弁護人舘野完、同大貫端久、同高橋剛共同作成名義の控訴趣意書及び反論補充書ならびに検察官吉永祐介作成名義の控訴趣意書に記載されているとおりであり、これらに対する答弁は、検察官松田昇、同山本和昭、同飯田英男共同作成名義の答弁書、検察官松田昇作成名義の補充訂正申立書ならびに弁護人舘野完、同大貫端久、同高橋剛共同作成名義の答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。
(なお、以下の判示は、本判決の末尾に添付した略語表にしたがつて記載することとする。)
第一弁護人の控訴趣意
(一) 不法に公訴を受理した旨の控訴趣意
所論は、『検事総長及び東京地検検事正は、本件の共犯者であるコーチヤン及びクラツターについては同人らの証言を獲得するため各不起訴宣明を発し、最高裁判所もこれを保証確認する宣明を発して不起訴の保障を与えながら、被告人に対しては検察官が公訴の提起に及んでおり、本件公訴の提起は被告人を合理的理由なく差別的に取扱つたものであつて、憲法一四条に、ひいては憲法三一条に違反するので、刑訴法三三八条四号により公訴棄却の判決をすべきであるのに、原判決が被告人に対し実体判決をしているので、原判決には不法に公訴を受理した違法がある』というのであり、その実質は公訴権の濫用の法理を主張するものと理解される。
しかしながら、仮に公訴権の濫用の法理を容認しうるとしても、右法理によつて公訴棄却すべき場合は、公訴提起自体が職務犯罪を構成するような例外的、極限的な場合のみに限られるというべきであり、本件がかかる例外的、極限的な場合にあたらないことはいうまでもない。また、本件において、被告人に対し右一連の嘱託尋問手続を含め捜査の段階や公訴提起の過程において、その思想、信条、社会的身分又は門地などを理由に不当な差別がなされた証跡はないから、本件公訴提起が憲法一四条に違反するものではない。さらに、コーチヤン及びクラツターに対する右各不起訴宣明が、これを発するについての合理的必要性があつたものであることも、原審が右嘱託尋問調書の決定書においてるる説示しているとおりであり、当審もこれを肯認しうるから、同人らが訴追されていないという一事をもつてして、被告人に対する本件公訴提起が憲法三一条に違反することとなるものでもない。論旨は理由がない。
なお、弁護人らは、最高裁判所の右宣明について検察権の行使に介入したものであり、司法行政権の範囲を逸脱したものであるとも主張しているので、右主張について付言すると、まさに下級裁判所の司法裁判権行使の一態様に他ならない本件嘱託証人尋問が、専ら受託国たる米国の国内法上の事情によりその実施が阻害されている状況の下において、わが国の最高裁判所が受託国の要請にしたがい、右状況を打開するための措置を講ずることは下級裁判所の裁判権の行使を円滑ならしめるための裁判所法一二条にもとづく最高裁判所の司法行政権の行使に他ならないのであるから、右宣明が司法行政権の枠を逸脱して検察権の行使に介入したものであるとする右主張は採用できない。
(二) 若狹、藤原の検察官に対する各供述調書の信用性及び証拠収集の違法性に関する控訴趣意
(a) 右各供述調書の信用性を論難する論旨
若狹及び藤原は、捜査段階における検察官の取調べに際しては、原判決の認定に沿う供述をしていたのであるが、原審公判廷においては、国内幹線大型機導入問題、沖縄線大型機導入問題、東亜国内航空の幹線参入問題、同社とのローカル線におけるダブル・トラツキング問題など当時の航空行政上の重要問題の実情とこれらに対する認識、本件閣議了解具体化作業についての当時の認識、三回にわたる被告人に対する請託の有無、第二次佐藤案の入手経路、運輸大臣通達の評価、被告人に対する当時の気持、被告人を含む政治家六名に対する金員供与の企図、謀議及び丸紅側への働きかけの状況、被告人に供与した本件金員の趣旨、藤原及び大久保からの右政治家六名に対する金員供与の件についての報告、被告人以外の右政治家五名と全日空との従前からの関係と同人らに対する金員供与の趣旨などの点では、捜査段階における供述とは異なつた供述をしているのであり、弁護人らの事実誤認の控訴趣意の多くは、同人らの原審公判廷におけるこれらの各供述に依拠、立脚して原判決の認定を争う形で展開されているので、個々の所論に対する判断中にも当審の判断を示すが控訴趣意書第一部第一四点は、同人らの検面調書の信用性について、包括的論難をしているので、その限りで当裁判所の判断を示すこととする。
まず、同人らの各原審証言についていえば、<1>同人らはすでに公訴時効が完成していたため刑事訴追はされていないが、本件受託収賄被告事件については贈賄者の立場に立つものとされ、後述のとおり、本件閣議了解具体化作業に関し被告人に謝意を示すべく供与したとされる金員のために被告人が刑事訴追されているものであること、当時運輸省政務次官であつた被告人に対し、航空行政に関する重要問題について全日空のため働きかけをくりかえしたうえその謝礼、報酬の趣旨を含めて被告人に金員を贈つたとされる本件公訴事実は、全日空にとつて、イメージダウンにつながるのみならず、社会的地位のある同人ら自身にとつてもきわめて不名誉なことでもあることを併せ考えると、同人らが、被告人の面前で、しかも多数のマスコミ関係者のつめかけている公開の法廷で右のような公訴事実に沿つた供述をすることは心理的にもきわめて困難であり、できるかぎり被告人に不利にならぬよう、かつ、全日空や自己のためにも事実関係について否定し、あるいはこれを薄めるよう供述したい心情にかられたとしても、無理からぬところというべきであること、<2>同人らの各原審証言のうち捜査段階における供述との相反部分は、運輸省関係者、日航関係者及び丸紅関係者の原審証言や捜査段階における供述とくいちがつているのみならず、全日空から押収された当時の内部資料の記載ともくいちがつており、しかも、この全日空内部資料とのくいちがいについて、同人らは、原審証言において、「立案した人の一つの考え方である。」「今までの経緯を全く理解していない者の書いた文書である。」「速記をとつた人に多少問題がある。」「これを書いた人間の独断である。」などと弁解しているのであり、これらは到底首肯しえない弁解という他はないこと、<3>若狹の原審証言中藤原との本件金員供与の謀議に関し供述する部分は、藤原の原審証言ともくいちがつており、右くいちがいについて何ら合理的な説明がなされていないこと、<4>同人らの原審証言中右謀議について供述する部分も、若狹や藤原自身が右証言の他の箇所で供述しているところと明らかに矛盾する不合理なものを含んでおり、また、同人が原審において、チヤーターと狭義の不定期の関係について供述する部分も、第一次佐藤案における「不定期」という表現は藤原が被告人に教えたと思う旨の北御門の供述ともくいちがつていること、<5>同人らが捜査段階における供述と原審証言とのくいちがいについて原審で供述するところも、検事の創作であるとか、押しつけであるなどというのみで何ら納得のできる説明をしていないこと、<6>大型機導入問題、近距離国際線進出問題、東亜国内航空の幹線進出問題、同社とのローカル線ダブル・トラツキング問題などは、当時全日空にとつて、会社の将来、命運を左右しかねない重要な問題であつたことは疑いを容れないところであるのに、若狹は、被告人がこれらの問題について通達づくりをはじめたのを知りながら単なる事務的な問題であつて被告人に陳情する必要は毫も感じていなかつた旨不合理な弁解をしているのであり、しかも右弁解は本件閣議了解具体化作業の客観的な流れともそぐわないものであること、などを総合すれば、同人らの捜査段階における供述と相反する部分に関するかぎり、到底信用できないものというべきである。
これに反し、同人らの捜査段階における供述は、自己に不利益な事実についても明確に供述しており、運輸省関係者、日航関係者、丸紅関係者の原審証言や捜査段階における供述、押収されている全日空内部資料ともよく符合していること、そもそも同人らがことさら事実関係を歪曲してまでこのように被告人にとつてきわめて不利益な、しかも全日空や自分自身にとつても不利益、不名誉な事実を供述する必要も理由も全くないと認められること、同人らが原審で検察官の取調状況について供述するところも内容的にもあやふやで不自然な点の少なくない作為的誇張の目立つものであり、とくに若狹の右供述は原審証人山邉力の供述により認められるところの取調室の客観的状況や取調の経緯ともくいちがつているのであり、いずれも虚構と認めるの他はないこと、同人らは、捜査段階における供述について、一方では検察官の押しつけに根負けしたものであるとしながら、他方では同じ箇所について誤解して述べたとか、推測で述べたとし、弁解自体に自己矛盾があること、藤原が原審において、捜査段階における供述に関し、「こんな起訴とかいうようなことはありつこないと思つた。」などと全く不合理な供述をしていること、若狹が第三回請託についての捜査段階における供述について、原審で、「検事がそういうふうにお考えになつたんじやないかと思う。」旨検察官の誘導、押しつけによるものであると供述しているけれども、右請託において若狹が幹線増強問題にしぼつて陳情、要望していたことを検察官があらかじめ知り、あるいは予測しえたとは到底認められないのであり、この点からしても同人の捜査段階における供述が自発的になされたものであり検察官の押しつけ、極度の誘導によりなされたものではないことが明らかであることなどを総合すれば、同人らの捜査段階における供述はきわめて信用性の高いものであるといわなければならない。
(b) 若狹の検察官に対する各供述調書の録取状況、加除訂正状況についての論旨
弁護人らは、『若狹得治の検察官に対する昭和五一年八月九日付、同年同月一六日付及び同年九月五日付各供述調書はいずれも同人の面前で録取されたものではないことや、同人の検察官に対する昭和五一年七月九日付、同年同月二五日付及び同年九月五日付各供述調書が完成後に検察官が勝手に字句の加除訂正をし、あるいは添付資料を勝手に追加するなどしていることに徴し到底信用できないものである』と主張する。
たしかに、証人山邉力の原審証言によれば、若狹の検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書は、同年同月四、五、六日になされた取調べに対する同人の供述にもとづき取調検察官が詳細なメモを作成し、これを同月八、九日に右検察官が検察事務官に口授する方法で作成された後に全文を若狹に読み聞けがなされているのであるが、八日夜に口授した部分は、若狹の申出により同人を別室で休息させて同人不在の形で口授されたものであり、同人の検察官に対する同年同月一六日付及び同年九月五日付各供述調書もほゞ同様の方法で作成されていることが認められるのであるが、右記載が若狹の供述にもとづいてなされ、かつ、その全文が同人に読み聞かせられ、同人がその記載内容について納得して署名押印している以上、検察事務官に口授する過程の一部において右のような経緯があつたからといつて、いささかもその信用性をそこなうものではないことは明らかである。また、同人の検察官に対する同年七月九日付、同年同月二五日付及び同年九月五日付各供述調書については、調書完成後に検察官が字句の加除訂正をしていることも所論指摘のとおりであるが、右証人の証言によれば、右加除訂正はいずれも明確な誤記や送りがなの不適切な点を訂正したものにすぎず、このことは供述調書の作成方法として好ましくないものというべきであるけれども、いずれも供述の内容やニユアンスをいささかも変更したものではないと認められるのであるから、これらの供述調書の信用性にひびくものではない。さらに、検察官がこれらの調書完成後に添付資料を勝手に追加したとの主張については右証人の証言によりかかる事実がないことは明らかであるから、排斥を免れない。右各主張はすべて理由がない。
(c) 若狹の検察官に対する昭和五一年八月一七日付供述調書についての論旨
また、弁護人らは、『若狹の検察官に対する昭和五一年八月一七日付供述調書は、若狹が原審において「いやこれらの調書は私の面前で作られたものじやございません。」と証言しているように、同人の面前で作成されたものではない』とも主張するが、右供述調書が終始若狹の面前で作成されていることは山邉力の原審証言により明らかであるから右主張も採用できない。
(d) 証拠収集の違法性についての論旨
弁護人らは、また『検察官は本件を単純収賄ではなく受託収賄とするために偏頗、違法な証拠収集を行ない、あるいは証拠を改ざんするなどしている』とるる主張するが、原審記録をつぶさに検討しても、検察官において所論のような偏頗、違法な証拠収集や証拠の改ざんをしたことを窺わせる証拠はない以上、右主張もまた採用できない。
(三) 本件閣議了解具体化作業全般に関する事実誤認の控訴趣意
(a) 右作業の着手時期についての論旨
所論は、『被告人が本件閣議了解の具体化作業について運輸大臣から一任されたのは同四七年二月二五日ころ以降であるのに、原判決が、右以前の同四七年初めころから全日空が右作業に関して種々陳情していた旨認定したのは事実を誤認している』というのである。
しかしながら、町田及び窪田の原審各証言、北御門及び藤原(昭和五一年九月一四日付)の検察官に対する各供述調書に加えて、被告人自身の昭和四七年六月七日の衆議院運輸委員会における答弁内容(証拠番号略、以下同じ。)被告人の検察官に対する供述調書(昭和五一年八月二一日付、八月二四日付)に徴すれば、精算問題も含めて、閣議了解事項をもつと具体化するようにという命令を大臣から受けたのは、同四六年九月下旬であつたこと、具体化作業の着手は翌四七年三月ころまで遷延したものの、被告人が本件閣議了解の具体化を企図していることを同四六年末ころから運輸省や航空企業関係者に話していたことが認められるのであり、これを察知した全日空のものが同四七年初めころから陳情をしていた旨の原認定に所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。
(b) 本件閣議了解具体化作業が最終的には大臣通達の形となることが予定されていたとの原判決の認定についての論旨(控訴趣意書第一部第九点)
所論は、『原判決が「(閣議了解を)具体化しようとする施策は、その内容が最終的に確定すれば、事柄の性質上、文書化されて運輸省部内に行政上の指針として示される一方、航空三社にこれを通知して協力要請ないしこれに従つて今後の業務運営を行うよう行政指導をすることとなること並びに右内容の重要性及び被告人が丹羽大臣の特命を受けて右作業を行つていることにかんがみれば、右文書が運輸大臣名義になるであろうことは、被告人はもとより若狹、藤原ら関係者も当然のこととして考えていたものと言わねばならない。」と判示している点について、事実誤認がある』とし、『住田の「私が(本件運輸大臣通達の出たことを)知つたのは七月四、五日位ではないかと思います、事前にああいう形(大臣通達という形)で出るということは予想していなかつた。」旨の、山本の「同四七年六月三〇日に案を町田次官から渡され、起案を命じられた時に、大臣通達になると直感的に感じ、案作りの段階では、大臣通達を出すということは、はつきり意識していなかつた。」旨の各原審証言からしても、被告人自身も、大臣の特命により右具体化作業を行つたとしても、それがやがて大臣通達になるとは当初から考えていなかつたことは明らかであり、したがつて、全日空においても、それが大臣通達になるとは予見していなかつた』というのであり、その趣旨は、右作業の過程で、全日空が被告人に対し「大臣通達に明記して欲しい。」旨依頼、請託することはあり得ないことを主張しようとしているものと理解される。
しかしながら、右住田証言部分は、住田としては昭和四七年六月当時の状況から同案が最終的には成案にならないと考えていたのに、その予測に反する結果になつた、という趣旨であり右山本証言部分も、右作業の中身の重要性からみて成案になれば大臣通達になるだろうと考えていたが、反対意見が強いためなかなかまとまらないだろうと思つていたという趣旨であることは、右各証言の前後のやりとりからして明らかであり、右各証言はいずれも弁護人の右主張を裏付けうるものではない。そして被告人自身が、捜査段階において、若狹らからの請託については否認しながらも、この点については、「具体化することは通達を出すことであり、」(昭和五一年八月二一日付検察官調書)とか、「もちろんこの案は最終的には運輸大臣の通達に進んでいくものであります。」(同年八月二四日付検察官調書)などと、当初から運輸大臣通達となるものであることを認識して右作業を行なつていたことを自認していることに加え、当時の町田事務次官が原審で「佐藤政務次官のほうで進められておる案作りというのは結局は最終的にはどういう形のものを目ざしているのか、そのへんはどういうようなご理解だつたのでしようか。」との問いに対して、「大臣通達という形にするということが初めからそういう考え方で進められていたかどうかちよつとはつきりと致しませんが、いずれに致しましても先ほど申しましたような閣議了解事項の何と言うか具体化と申しますか、そういうことですのでやはり表に出すもの、表に出すというか、まあ、一般に知らしめるというかそういう形のものを考えておられたと思いますし、私どももばく然とそういう感じを持つていたんじやなかつたかと思います。」と述べ、さらに「この表に出すというと、もちろん航空三社にもいわゆる示達をするということを前提に考えておられたと。」との問いに対して「はい、そうだと思います。」と証言していること、その他原審で取調べられた関係各証拠によれば、原判決がこの点について説示するところはすべてこれを肯認することができ、所論事実誤認の主張は理由がない。
(c) 右作業における被告人の公平さについての論旨
弁護人らは、『被告人は、本件閣議了解具体化作業の過程において、終始三社に公平な立場でことにあたつていたのであり、原判決はこの点について事実を誤認している。』と主張する。
しかしながら、原判決をつぶさに検討すると、原判決は、「罪となるべき事実」においても、「弁護人の主張に対する判断」においても、右作業の過程における被告人の一連の客観的な態度、言動を事務当局者の態度との関連できめこまかく認定、説示しており、併せて事務当局者が被告人の態度、言動について本件閣議了解の線を逸脱することとなるとして強く反対していたことを指摘しているものの、この一連の被告人の態度について、不公平であるとか、偏頗であるとかという評価をいささかも加えていないのである(そもそも裁判所は、本件閣議了解具体化作業が高度の行政的裁量にかかるものである以上、従来の路線をそのまま踏襲しようとする事務当局者と、これを後発企業保護優先の方向に大きく修正させようとする被告人との間の右の対立について、そのいずれが当時の航空業界の現状の下において、わが国の航空行政のあるべき姿であるかを判定すべき立場にはないのであり、原判決のこの点に関する謙抑的な態度は十分に首肯しうるところというべきである。)から、所論は、原判決に対する論難ではないことに帰するのであつて、所論は採用のかぎりではない。論旨は理由がない。
(四) 第一次佐藤案に関する事実誤認の控訴趣意
(a) 事務局素案との関係についての論旨
所論は、『原判決は、第一次佐藤案について、「なるほど、第一次佐藤案の作成に至る過程で山本らによつて右素案が作成されたことが認められるが、山本の証言(一〇五回)等によれば、航空局事務当局が右素案の作成を含め閣議了解の具体化作業を行つたのは、被告人佐藤の航空局幹部に対する判示指示に基づくものであり、航空局事務当局としては判示の理由により閣議了解を具体化すること自体に反対したが、同被告人に容れられなかつたため、やむを得ず同被告人の言う趣旨を取り入れながらも、できるだけ抽象的な表現にとどめるとの判示の方針で右素案及び第一次佐藤案を作成したものであることが明らかであり、第一次佐藤案の右作成経過にかんがみれば、それは被告人佐藤の案と称するのが相当である。」と認定し、ことさら被告人の独自の指示の結果作成された被告人独自の案であるかのように判示しているが、第一次佐藤案は、実質的には航空局の作成した素案(甲二118中の「航空企業の運営体制について」)の内容を踏襲した事務局案にすぎない』というのである。
しかしながら、原審で取調べられた関係各証拠によれば、右素案自体も被告人の指示によつて航空局事務当局が作成したものであり、航空局事務当局としては、右素案の作成を含め本件閣議了解の具体化作業には反対する意見具申をしたけれども、被告人に容れられなかつたため、やむなく被告人の主張を取り入れながらもできるだけ抽象的な表現にとどめる方針の下に右素案及び第一次案を作成したことは原判示の通りである。そして、第一次佐藤案が航空局事務当局の考え方をそのまま示したものではなく、被告人の意向を反映したものであることは、全日空の近距離国際線の運営についての素案の記載部分が第一次佐藤案で変更されていることによつても裏付けられている。すなわち、原審で取調べられた関係証拠特に山本長証言によれば、事務当局は、当初右素案において「全日空は余力を近距離国際不定期航空運送事業に充当する。」、「近距離国際不定期航空運送事業運営についての体制整備次第、自主的運営への移行を認める。」旨、本件閣議了解の二条件の枠を逸脱しない表現をしていたところ、被告人の要請により、右二条件をはずした第一次佐藤案に変更するに至つた経緯が認められ、また、事務当局が佐藤案に対する対案として昭和四七年五月中旬ころ作成した「航空局指導基準について」と題する書面に、全日空の近距離国際チヤーターの条件として、「余裕機材を活用するものであること」、「日航と委員会を設け、運賃等について調整を行うこと」と明確に記載してあることからしても、事務当局が当時本件閣議了解の右二条件を厳守しようとしていたことも明らかである。したがつて、第一次佐藤案で右二条件が削除されているのは、事務当局の発案によるものである旨の所論を含め、弁護人らの右主張は採用できない。
(b) 日航をつんぼさじきにおいたことについての論旨
弁護人らは、原判決が、「日航側が少なくとも被告人から第一次佐藤案を渡され、これを修正する形式で意見を提出するよう求められたことはなかつた。」旨判示している点について、『被告人は、日航に対しても、全日空・東亜国内航空に対すると同様、第一次佐藤案を渡して意見を求めたのであり、この点に関する日航関係者の原審各証言は信用できず、日航がこれに対する意見書を提出しなかつたのは、意見書を提出することが、閣議了解の具体化、見直し作業の土俵にのぼり、その結果自社の既得権の縮小を暗に容認するような形になることをおそれたためなのであり、日航が佐藤第一次案を知らなかつたことを意味するものではない、このことは、現に日航の松末孝雄が、被告人から第一次案を配布されなかつたとしながらも、関谷勝利代議士から入手したことを原審において認めているのであり、それにもかかわらず日航が佐藤第一次案について意見書を提出していないことに徴しても明らかである』と主張する。
しかしながら、朝田、橋爪、松末ら日航関係者の、日航が被告人から第一次佐藤案を示され、意見を求められたことはなかつた旨の各原審証言は、同人らの各証言が全体的にみても不自然な点がいささかもなく、事態の経緯や他の関係証拠ともよく符合していることや、事柄の性質からして、日航関係者がこの点についてことさら真実を曲げ虚偽の供述をしなければならない理由も必要も全くないと認められることにかんがみて、十分に信用できるものであることは明らかである。また、第一次佐藤案は、幹線の範囲を限定し、全日空に近距離国際不定期運航を認める方向を指向すること等を内容とする、日航にとつて会社経営上きわめて重大な影響を受けかねないものであり、しかも、被告人だけの私的なメモではなく、すでに航対委にも提出されて討議された公的な書面なのであり、将来大臣通達の形で今後の航空行政の準則とされることが予定されていたものである以上(なお、日航が関谷代議士から第一次佐藤案を入手しながら被告人に意見書を出すなどの対応策をとつていないとの所論についていえば、たしかに日航は関谷代議士からこれを入手しながら、被告人に意見書を提出したり意見を述べるなどしていないことは所論指摘のとおりであるが、松末孝雄の原審証言等によれば、日航が、第一次佐藤案を入手した後、その内容について内部で検討を重ねるとともに、運輸省事務当局に意向を確かめたり、これに反対する方向で航対委のメンバーにいろいろ働きかけ、陳情に及んでいたことは明らかであり、これに対して手をこまねいていたわけではないことは明らかであるから、この点に関する所論も失当というべきである。)、被告人からこれについての意見が求められてこれに応じないということはありえないところというべきであり、原判決のこの点の説示はまことに正当という他なく、異論をさしはさむ余地はない。弁護人らの右主張も採用できない。
なお、弁護人らは、この点に関連し、『日航労組の陳情書をみれば、日航が労働組合まで使つて被告人に陳情していることが窺われるのであるが、その中には、「政務次官の考え方に賛成である。航空企業の運営体制の具体化と一緒に日航(法)も改正して呉れ、民族派は大賛成である。表面にたてない丈である。」との記載があることからしても、被告人の閣議了解具体化作業に日航自身も必ずしも反対していたわけではないことは明らかであり、この点からしても、被告人が日航をつんぼさじきにおいていたわけではないこと及び被告人が公平な立場から作業を進めていたことが十分に窺われる。』と主張する。たしかに、日航労組の陳情書には所論のような記載があり、これによれば、日航労組が、本件閣議了解具体化作業の進められていた昭和四七年五月中旬ころ、被告人に対し、右作業とともに日航法を改正して役員の天下りがなくなるようにしてほしい旨陳情していたことが認められるけれども、そもそも日航労組が本件閣議了解具体化作業自体について当時どのように考えていたかは右陳情メモからは明らかではないうえ、右陳情メモの記載内容自体からして、右陳情が日航首脳部の意向に沿わない、むしろこれに抵触するものであることからすれば、右陳情が日航会社側の日航労組に対する働きかけにもとづくものではないことは明らかであるから、右陳情メモの記載からして日航首脳部が表面ではこれに反対する姿勢をとりながら、実は内心では右作業を歓迎し、これに賛成していたことが推認できるとする所論は到底採用できないものという他はない(当時、日航首脳部が被告人の本件閣議了解具体化作業に対して一貫してきびしい批判的態度に終始していたことは、日航関係者及び運輸省事務当局関係者が原審において一致して供述しているところであつて、右陳情メモがこの点に関する原判決の認定を左右するに足りるものではない。)。また、右作業過程における被告人の態度が公平なものであつたとする所論が原判決に対する論難としては的はずれであることもすでに説示したとおりであるといわなければならない。以上の説示からして明らかなように、所論はすべて排斥を免れず、論旨はすべて理由がない。
(五) 不定期とチヤーターの関係に関する事実誤認の控訴趣意
所論は、『原判決が、「町田(一三〇回)、山本(一〇五回)、橋本(昌)(一〇九回)、内村(一二七回)、橋爪(三五回)の各証言、北御門の検察官調書、被告人の弁護人請求の番号97を総合すれば、航空法上は、航空運送事業(同法二条一六項)を定期航空運送事業と不定期航空運送事業に分け、定期航空運送事業について、その内容を定めて定義を与え(同条一七項)た上、定期航空運送事業以外の航空運送事業を不定期航空運送事業というと定めている(同条一八項)が、我が国航空行政の実務では、右の不定期航空運送事業を更に協議の不定期航空運送事業とチヤーターの二つに分け、前者はあらかじめ路線を定めてあるが、定期航空をするほどの定着した需要がないなどの理由により、一定の日時を定めて航行しない(すなわち、不定期にしか航行しない)形態のもの、後者はあらかじめ路線も日時も定めないで、たまたま客の需要があつた場合にその目的地へ向つて航行する形態のものとするが、ただしチヤーターについては、IATA(国際航空運送協会)の取決めに従い、それを利用できる客をオウンユース・グループとアフイニテイ・グループに限定していたこと、そのため、右狭義の不定期では不特定の旅客を運送することができるが、チヤーターではこれをできず、また、右狭義の不定期は需要いかんによつては定期航空運送事業に移行する可能性を秘めているものであつたこと、全日空としては国際線についてできれば右の狭義の不定期をやらせてもらいたいという切実な願望をもつていたことが認められるから、弁護人の右主張は採用できない。」と判示し、チヤーターと狭義の不定期とが実質的には同一であるとの弁護人らの主張を排斥している点(原判決三五〇頁―三五二頁)について、事実を誤認したものである、』というのである(控訴趣意書第一部第五点)。
しかしながら、たしかに昭和四七年当時、わが国においては、この狭義の不定期便がまれであつたことは認められるけれども、日航の国際線において、東京―福岡―鹿児島―香港(旅客便)、東京―アンカレツジ―ニユーヨーク(貨物便)、東京―アンカレツジ―サンフランシスコ(貨物便)、東京―アンカレツジ―ロスアンゼルス(貨物便)の狭義の不定期便が運航されていたことは、山本及び橋爪の原審各証言ならびに当審で取調べられた二通の運輸大臣認可書(認可申請書を含む。)(当審項二4と5)の各記載により明らかであり(所論指摘の航空振興財団発行の「数字でみる航空」が、これらの不定期便の存在を否定し、あるいはその存在に疑いをさしはさましめるに足りるものではないことはいうまでもない。)、そもそも、本件運輸大臣通達中に右の「不定期航空」の文言を加えることが本件閣議了解の範囲を逸脱するとして事務当局が狭義の近距離国際不定期便をも全日空に認めようとする被告人に抵抗していたのに対し、被告人が本件運輸大臣通達案作成の最終段階において、右通達中に、全日空のため「不定期航空」なる文言を挿入することに固執し、「なお、近距離国際線の運営には、チヤーター方式のほか、不定期航空として運営方式もあるが、現時点においてはチヤーター方式によることとする。」との表現に変更させていることは、被告人がこの両者を概念的に明確に峻別していたことを如実に物語つているのであり、このことは、被告人自身が、検察官に対する昭和五一年八月二四日付供述調書において、「チヤーターは飛行機を特定の相手に貸切ること、不定期とは時間帯を予め予告しないで路線を飛ぶこと、要するに臨時便的なものであります。」と、両者の区別をわきまえた供述をしていることによつてもさらに裏付けられているというべきである(当審証人亀山の証言中これに反する供述部分は、これらの関係各証拠に照らして到底措信しえないものという他はない。)。
弁護人らは、『ITC方式がチヤーターに導入されたことからみても、チヤーターと狭義の不定期とを区別することは誤りである』と主張する。
しかしながら、わが国において、不特定多数の旅客を対象とするITC方式がチヤーターに導入されたのは、同五三年以降であり、本件当時、我が国で認められていたチヤーターは、原判示のように特定旅客(オウンユース・グループ及びアフイニティ・グループ)を対象としたものに限定されており、不特定多数の旅客を対象としたものはチヤーターと区別して「狭義の不定期」としていたことは、町田、山本及び橋本(昌)の原審各証言により明らかであり、弁護人らの右主張は、チヤーターの概念が本件請託時点以後に変化していることをことさら無視したものといわざるをえず、失当という他はない。
さらに、弁護人らは、『全日空作成の「現行閣議了解の範囲内での全日空不定期便目的地」と題するメモ、同四七年四月一〇日付メモ及び「日本を中心とした国際航空の問題点」と題するパンフレツトの記載からすれば、少くとも全日空関係者においては、不定期とチヤーターが同義に理解されていたことは明らかである』と主張する。
しかしながら、右各書面がチヤーターと狭義の不定期とを明確に区別した記述をしていないからといつて、直ちに全日空関係者が両者の区別を理解認識していなかつたことを意味するものではないことはいうまでもない。全日空作成の同四七年五月八日付「航空企業の運営体制について(願)」に「全日空の近距離国際不定期(またはチヤーター)」と記載されていることや、北御門及び藤原(昭和五一年九月一四日付)の検察官に対する各供述調書の供述記載からすれば、全日空関係者がこの両者を明確に区別したうえ、チヤーターのみならず狭義の不定期にも進出することを切望していたことは明らかであるから、右主張もまた採用できない。したがつて、原判決には所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。
(六) 第一回請託に関する事実誤認の控訴趣意
所論は、原判決が、「若狹は、右のように被告人佐藤自身自ら通達の立案作業に本格的に取り組もうとしていることを知り、同被告人が東亜国内航空最優先の方向で立案するのではないかとの危ぐを抱き、同被告人に依頼して全日空の利益を擁護する必要があると考え、また前記のとおり、日航が運輸省の大型機導入延期の行政指導に従わざるを得ない立場に追い込まれ、昭和四七年度からの国内線大型化の基本方針を強行することは断念したものの、同四六年九月策定の「四七~五一年度長期計画」の中で同四八年度にB―七四七LR三機を国内線に転用する旨の計画を立て、あるいは、同四七年正月に全日空の了解を得ないで福岡―東京路線に同型機の臨時便を就航させ、また、全日空に対し同四八年度から大型機を国内線に導入する旨の提案を行い、なかんずく同四七年五月一五日沖縄復帰後国内線となる沖縄線に同年四月一五日から同型機を就航させたい旨の事業計画変更認可申請を同年三月三一日付で運輸大臣に対して行うなど、早期大型化を図ろうとしていたところから、これを阻止すべく、通達中に大型機導入時期を全日空の希望する同四九年度以降とする旨定めてもらうことにより決着をつけたいと考えた。そこで、若狹は、同四七年四月中旬ころ運輸政務次官室に赴き、被告人佐藤に対し、
<1> 大型機の国内幹線導入時期を同四九年度以降とすること
<2> 当分の間東亜国内航空の幹線参入を認めず、かりにこれを認めることとなつた場合は日航のシエアの縮小によつて行うこと
<3> ローカル線のダブル・トラツキングについては、全日空の運営している路線に東亜国内航空の参入を認めるだけでなく、全日空にも東亜国内航空が運営している同等の路線に参入することを認める相互平等主義に則つて実施し、当該路線の利用率が一定水準、例えば七〇パーセントに達しないうちは認めないこと
等を通達中に定められたく、また、全日空は近距離国際線定期への進出を念願としているので通達作成に当たつてはこの点もよろしく願いたい旨依頼して請託した(以下、第一回請託という。)。これに対し被告人佐藤は、「よく分つた。なおよく検討する」旨答えた。
なお、藤原も、同四七年四月初めころから被告人佐藤に対し、国内線への大型機の導入は沖縄線を含め同四九年度からとされたい旨の陳情を重ねるとともに、全日空の近距離国際線不定期の仕向地として「東南アジアの他に、グアム、サイパン、シベリア(ハバロフスク)などをお願いしたいので、そのように具体的な地名を入れてほしい」旨陳情していた。」と判示している点(原判決六〇頁―六三頁)について、『当時全日空においては、被告人に対し右認定のような請託をする必要は全くなかつたのであり、右認定のような請託をしていないのであるから、原判決の右判示は事実を誤認したものである、』というのである。
そこで、弁護人の個々の主張に即して、当裁判所の判断を示すこととする。
(a) 大型機国内線導入時期に関する事務当局の既定方針についての論旨
弁護人らは、原判決が、「昭和四七年四月ころ当時、航空局幹部は、国内線への大型機導入は、沖縄線を除き同四九年度からが相当であるが、日航と全日空の話合いがつけば同四八年度からこれを認めてもよいとの見解であつたこと、当時全日空では同四九年度からの大型機導入を希望していたこと、他方、日航は、同四六年九月策定の「四七~五一年度長期計画」の中で、同四八年度にB―七四七LR三機を国内線に転用する旨の計画を立て、全日空に対しても同四七年一月ぐらいから同四八年度大型機導入の線で話合いをしたい旨の申入れをしていたこと」、「日航が同四七年正月に福岡―東京路線に全日空の同意を得ないでB―七四七LRを臨時に就航させたため、全日空は、日航がジヤンボの国内線就航を急ぐあまりデモンストレーシヨンとして行つたものと受けとめ、航空局及び日航に対し抗議をしたこと、日航は同四七年五月一五日沖縄復帰後国内線となる沖縄線に同年四月一五日からB―七四七LRを就航させたい旨の事業計画変更認可申請を同年三月三一日付けで運輸大臣に対して行つたこと、右事実を若狹、藤原らが知り、全日空としてこれに反対していたことが認められるところ、右認定の状況下においては、たとえ日航が同四八年度から大型機を国内線へ導入するには全日空の同意を得ることが必要であつたとしても、被告人が本件閣議了解を具体化した施策を定めるべく作業中であることを知つた全日空側としては、この機会に、通達に国内線への大型機導入時期についても全日空の希望する同四九年度からと明定してもらい、早期導入を図ろうとする日航の動きを封じて大型機導入問題に決着をつけようと考え、被告人に対しその旨請託することに何ら不思議はなく、むしろ当然の行動と言うべきである。このことは、現に、藤原が同四七年四月一九日監督課長山本に対し、『大型機の国内線導入は同四九年度からとするのが最も妥当であり、沖縄線についても右の同四九年度導入の基本線に沿つて結論を出されるべきものと考える。』旨を記載した同四七年四月一九日付け『国内線への大型機導入問題』を提出し、また、そのころ若狹らと相談の上、被告人に対し、右と同旨のことを申し述べていることなどによつても裏付けられている。」と判示している点(原判決三一三頁―三一九頁)について、『事務当局の同四九年度から大型機を国内幹線に導入する方針は、同四六年七月一日付け航空局監督課作成の「幹線における大型ジエツト機投入問題」と題する書面において明確に文書化され、更に、右書面は同月二日に開催された航対委で各委員に配布されて右方針が確認され、その席で日航、全日空両社もこれを了承しているのであるから、同四七年四月ころ若狹が大型機導入問題に関して、被告人に対し、「右導入は同四九年度以降とされたい。」旨の請託を行うことはあり得ない、』旨主張する(控訴趣意書第一部第二点)。
しかしながら、当審取調の山元伊佐久の証言調書を含む関係証拠によれば、右書面が、右航対委に出席する事務次官等に対し、事務当局が同四六年二月に行なつた日航及び全日空に対する大型機導入延期の行政指導とその後の経緯の概略を説明するために、当時航空局監督課長山元伊佐久が急拠とりまとめた内部資料であり、航対委から資料提出要求があつて作成されたものではないこと、右書面が航対委に提出され確認されたことがなかつたことが認められるのであるうえ、その書面の「大型機幹線導入時期を原則として昭和四九年度とするが、日航、全日空において、日航が国内線転用予定のB―七四七の活用方策を含め話合がつくならば、昭和四七年導入でもよいと考えている。ただし、この場合においては四八年度の取扱いをも話合つてもらう必要がある」という記載自体からも、大型機導入時期を確定的に昭和四九年度とするのが航空局の方針であつたとは認められない。そして、同四六年二月大型機導入延期に関する行政指導が行なわれたのち同年七月二日開催の前記航対委までの経緯は、原審で取調べられた関係各証拠によれば、同四六年二月、事務当局が日航、全日空に対し大型機の導入を同四九年度ころまで延期するとどういう問題があるかを質す形で行政指導を行つたのに対して、全日空はこれに応じたが、日航は、右行政指導がそれまで運輸省が採つてきた大型化推進という基本方針に逆行するものであつたばかりでなく、運輸大臣名で行つた機材取得認可をわずか二か月余りで特段の事情の変化もないのに、実質的に覆すという極めて異例のものであつたところから、これには承服し難いとして、その後同四六年六月初めころまで、再三にわたり航空局に対し反論資料を提出するなどして、従来の方針どおり同四七年度からの大型機導入を認めるよう強く要望していたのであり、航空局は、右反論を受けて、同四七、四八年度に大型化しなくても必ずしも供給不足を生じないし、かえつて大型化を急ぐと供給過剰を招くおそれがあることを数字的に示す資料を作成しようとしたが、検討作業の結果、同四八年度まで大型化は不要であるとの結論を裏付ける資料を作成することは全く不可能であるとしてこれを断念し、差し当たり同四七年度については、大型機を導入しなくても在来機で需要を賄える旨の資料を作成して日航に示したが、その資料では計算根拠として用いた数値の設定には無理があり、到底日航を説得できず、かような情況に至つた航空局は、同四六年六月上旬ころ、日航に対し、全日空との話合いがつけば同四七年度導入を認めてもよいとの意向を示し、その結果、日航はB―七四七LRの同四七年度導入を実現させるべく、同月一〇日前後に全日空に同型機の一部につき共同運航ないし乗員付賃貸の提案をするなどしてその合意を求めたが、全日空からこれを拒否されたというものであつたことが認められるのであり、右書面が以上の経緯を背景として作成された旨の山元証言調書の記載、甲二41中、昭和四六年六月三〇日全日空第八回本委員会資料「JAL昭和四七年度B七四七投入に対する当社方針(案)」が、その時点でも日航がB―七四七を昭和四七年に投入することを前提としていることを併せ考えると、右昭和四六年七月一日付書面の記載をもつて、昭和四九年度から大型機を導入するというのが航空局の確定不動の方針であつたと、全日空が昭和四七年四月段階で理解していた旨の前提に立つ主張は採用できない。
(b) 大型機の昭和四八年度国内線導入には全日空の同意が必要であつた旨の論旨
次に、弁護人らは、『日航が昭和四八年度から大型機を国内幹線に導入するには、全日空の同意を得ることが必要であつたのであり、そうであれば全日空としては、同意さえしなければ同社が希望している同四九年度まで日航の右導入を阻止し得るのであるから、昭和四七年四月当時若狹は大型機導入時期に関して被告人に請託をする必要がなかつたのに、原判決が右請託を認定したのは事実誤認である』と主張する(控訴趣意書第一部第二点)。
しかしながら、若狹の第一回請託の時点すなわち同四七年四月ころにおける日航の国内幹線への大型機導入の動きをみると、原審で取調べられた関係各証拠によれば、日航が昭和四七年度にB―七四七LR三機国内線投入を断念したのちも四六年九月に策定した「四七―五一年度長期計画」の中で、日航は、四七年に沖縄線にB―七四七LR一機を同四八年度にB―七四七LR三機を国内線に転用する計画を立て、同四七年一月ころ全日空に対し、同四八年度からの大型機導入についての話合いを申し入れ、また、同年の正月には福岡―東京線にB―七四七LRを臨時就航させ、更に同年三月に沖縄線に大型機を投入するため事業計画変更認可申請を行うなど、矢継ぎ早に大型機の早期導入を図ろうとする動きを示しており、全日空は日航のこれらの動きに反対していたが、一方、航空局においても、同四七年四月ころには当時の航空需要等からみて、できるだけ早期に大型機を導入することが望ましいとの考えから、日航、全日空両社の話合いがつけば、同四八年度からの大型機導入を認める意向であつたことが認められるのであり、かかる状況の下においては、当面日航が四八年度に大型機を国内線に導入するためには全日空の同意が要る形にはなつていたものの、同四六年二月の大型機導入延期の行政指導に不満をもつている日航が全日空の意向にかかわりなく同四八年度大型機導入を認めるよう強力に事務当局に働きかけることは必至であつたのであり、また当時の航空需要等からみて、事務当局が全日空の意向にかかわりなく日航の右大型機導入を認める公算も十分にあると全日空は危惧していたところ、他方、全日空としては、同四八年度の導入が不可能であるところから、もし日航の右一連の計画が実行に移されることになると経営上多大の影響を受けることとなるので、日航のこれら一連の動きを阻止し、同四六年二月の行政指導の線を再確認してもらう形で大型機導入問題に結着をつける必要があつたのであり(甲二42中「昭和四八年日航の大型機投入を阻止しえないときのインパクト」なる書面)、そのためには、被告人に請託し、本件運輸大臣通達の中に大型機の導入時期を全日空の希望する同四九年度以降と明定してもらうことが最も効果的であつたことは多言を要しないところであり、したがつて若狹及び藤原のこの点に関する捜査段階における各供述は十分に信用できると認められ、原判決の前記認定は正当であり、右主張は採用できない。
(c) 東亜国内航空の修正意見についての論旨
さらに、弁護人らは、『被告人は、昭和四七年三月下旬に東亜国内航空が第一次佐藤案について「大型ジエツト機の就航は当分見合わせ将来三社の意見調整のうえ決定する」との修正意見を提出し、航対委においてもこれを支持する意見が強かつたことをふまえ、もつぱら東亜国内航空を念頭におき、大型機の国内幹線導入時期を昭和四九年以降に東亜国内航空が幹線に自主運航を開始する時点で、三社間で協議してもらうことを考えていたため、東亜国内航空の意向や幹線参入にかかわりなく昭和四九年度に日航、全日空の両社に大型機を導入する意向であつた事務当局と対立していたにすぎないのであり、したがつて昭和四七年四月に若狹が大型機導入は四九年以降とされたいと被告人に請託を行うことはありえず、後に第二次佐藤案に「昭和四九年度以降」と記載したのは全日空のためではなく、東亜国内航空のためであつたことは、被告人が昭和四七年三月二二日開催の航対委において「(大型機導入時期は)四九年度TDA自主運航の時点で三社協議とする。」旨発言していることからも明らかであり、第二次佐藤案の右記載が全日空の働きかけによるものであるとの原判決の認定は事実を誤認するものである』と主張する(控訴趣意書第一部第七点の(一))。
たしかに、東亜国内航空が修正意見書において所論のような要望をしていることは弁護人らの主張のとおりであり、後述のように同社が利用率の高い幹線に参入することを強く望み被告人に働きかけていたことに徴すれば、幹線進出後の他社に対する競争力を維持するため、同社も大型機幹線導入を遅らせることに利益を感じていたことは疑いを容れず、この問題については、同社は全日空といわば利害を共通にする立場に立つていたというべきであり、したがつて、東亜国内航空もこの点について被告人に働きかけていたであろうことは、被告人が第一次佐藤案作成の段階においては、東亜国内航空の同四九年度からの幹線参入を容易にするための配慮から、「四九年に東亜国内航空が幹線に進出した後三社の協議により決する」との考え方(甲二127中のメモ)をとつていたことからしても容易に推認できるところというべきである。
しかしながら、被告人が、その後、同四七年四月中旬ころ以降は、大型機導入問題を東亜国内航空の幹線参入と切り離して同四九年度以降とし、沖縄線も同様とするなど、全日空側の要望に一致する考え方を採るに至つたことは、被告人が第二次佐藤案において、この問題について、「国内線の大型機の投入時期につき、沖縄復帰後の那覇を含め、昭和四九年度以降認めるものとする。」と記載し、東亜国内航空の前記修正意見書における「大型ジエツト機の就航は当分見合わせ将来三社の意見調整のうえ決定する。」との修正意見をとり入れていないことに徴しても明らかである。そもそも、この問題については、東亜国内航空より全日空の方がはるかに強い直接的利害を感じていたことは前述のとおりであるから、所論指摘の事情は、全日空において、昭和四七年四月の段階でこの問題について被告人に働きかける必要をいささかも減殺するものではないというべく、また、事務当局の当時のこの問題についての意向が所論のようなものではなかつたことも前述のとおりなのであり、また第二次佐藤案を作成した段階においては、被告人が専ら全日空の立場、利益を念頭において大型機導入時期についての条項を作成していたと認められるのであつて、弁護人らの右主張もまた採用できない。
(d) 本件閣議了解具体化作業と大型機国内線導入問題との関連に関する全日空の認識についての論旨
また、弁護人らは、『全日空としては、前記同四七年四月一九日付け「国内線への大型機導入問題」と題する書面を提出するまでは、大型機導入時期の問題と本件閣議了解の具体化作業とは無関係であると認識していたのであつて、原判決が右書面に大型機に関する記載があることをもつて第一回請託の裏付けであるとしたのはこじつけであり、また、そのころ藤原が若狹らと相談の上、被告人に対し右書面と同旨のことを申し述べたと認定したのは独断のそしりを免れない』とも主張する。
しかしながら、原審で取調べられた関係各証拠によれば、同四七年一月ころ日航から全日空に対し、同四八年度大型機導入で話し合いたいとの申入れがあり、また、同四七年三月末には日航が復帰間近の沖縄線に同年四月からB―七四七LRを投入したいとの認可申請を提出するに至つたところから、若狹、藤原の両名は、もし日航の右計画が実行に移されることになつた場合には、全日空としては同四六年に事故を起こしていることもあつて旅客需要に相当の影響を受けるという感じを持ち、話合いの上右問題についても本件閣議了解の具体化作業の一環として取り上げるよう被告人に話しておこうと考え、藤原は、同年四月初めころ被告人に対し国内線大型化時期を沖縄を含め同四九年度以降とされたいとの全日空の希望をいろいろ説明し、若狹も同月中旬ころ被告人に右同様の依頼をして請託し、藤原は、そのころ全日空の右希望の趣旨を記載した前記同四七年四月一九日付け書面を作成して事務当局に提出し、更には、同年五月八日付「航空企業の運営体制について(願)」中にも「大型機の国内導入は昭和四九年度以降としていただきたい」と記載し、第二次請託を行つたことが認められる(藤原は、捜査段階において、「同年四月ころ、被告人に対して大型機導入時期を同四九年度からとするよう陳情を繰り返していた。」旨供述しているのみならず、原審公判廷においても、若狹と自分が、被告人が本件閣議了解具体化作業を進めていることを察知し、同年三月末から四月にかけてチヤンスがあれば被告人にこの問題について陳情に行つていた旨をくりかえし供述しているのである。)のであつて、弁護人らの右主張も採用できない。
なお、当審取調べの証人宍倉宗夫の証言調書中この点に関する供述内容について付言すると、同人は日航の右B―七四七LR三機の同四七年度国内線転用問題について、「同四五年度日航認可予算に関連して、運輸省・大蔵省間において、同年一一月ころB―七四七LR三機の国内線転用を前提としてB―七四七LR四機を含む合計一二機の航空機の取得認可について協議が行われ、その際大蔵省は、運輸省との間で『東京―大阪間では同型機を運航させない』等の条件を文書で確認した上、同年一二月二日付けで右協議に異存がない旨回答した。」旨証言しているのであり、昭和四五年一二月段階では日航がB―七四七LR三機を同四七年度に国内線に転用することをむしろ承認していたことを意味しており、右証言が、およそ運輸省事務当局が大型機の導入時期を同四九年度からとする方針を確定していたとする弁護人の主張を支えるものではないことは明らかである。また、同証人が日航の同四五年度予算原案に計上されていた同四八年度用エアバス購入のための予備費等をめぐる住田とのやりとりについて証言するところも、同四五年一二月当時においては、いまだ大蔵省と運輸省との間に同四八年度エアバス導入とりやめの合意がなされていたわけではなく、右予備費の扱いについて非公式に相互の感触を述べあつたものにすぎないことは明らかであつて、この点に関する弁護人の主張を何ら裏付ける内容ではないというべきである(そもそも、右予備費の問題は、日航の国内線専用のエアバスの新規購入に関するものであつて、すでに運輸省及び大蔵省の承認を得て日航が実施しようとしていたB―七四七LR三機の国内線転用による大型機導入あるいは同型機の沖縄線投入とは直接関係がないのである。)。
(e) 第二次空整との関連についての論旨
さらに、弁護人らは、『航空局事務当局が第二次空港整備五か年計画(以下「第二次空整」という。)の財源確保のために、航空会社の設備投資を昭和四九年度まで抑制しようとして、同四六年二月に大型機導入延期の行政指導を行つたのであり、したがつて、同四九年度導入は事務当局の方針であつたのであるから、若狹が大型機導入時期に関して請託する必要はなかつた』と主張する。
しかしながら、原審取調べの橋本(昌)の供述、当審取調べの山元の証言調書によれば、右行政指導と第二次空整との関連は否定されているのであり、事務当局が日航をして前記行政指導を応諾させるべく説得した過程においても、第二次空整の財源確保問題が取り上げられた形跡は事務当局関係者及び日航の担当者の供述に全くあらわれていないこと、原審取調の住田の供述、当審取調の山元の証言調書によれば、右行政指導が行われたのは、原判示のとおり、日航が本件転用計画に従つて同四七年度から国内線に大型機を導入した場合、全日空も日航との競争上その準備体制が整つていないのに無理をして大型機を導入することになり、安全性の点で問題があつたからにほかならないことを併せ考えると、右行政指導が第二次空整のからみで出てきたものではないと認められるのである。このことは、全日空においては、航行援助施設利用料を負担する見返り措置として約一七億円(同四六年分)を捻出するため、同四六年一月初めころから、ローカル線のジエツト料金を設定するか、往復割引の廃止をするかのいずれの方法をとるかが検討され、結局、六月に往復割引の廃止をすることに決定して実行されていること、空整財源は本来受益者負担が筋であり、現に、同四七年には航空運賃の値上げが実施された旨の藤原証言及び宍倉証人の尋問調書の記載によつても裏付けられている。
証人藤原は、当審において、昭和四六年二月の行政指導につき所論のように推測している旨証言するとともに、その根拠として、全日空専務取締役鈴木正之作成の同年二月一九日付「航空機の償却方式に関する私見」に「航空局が全日空に対し、減価償却の方式について定率法から定額法に改めるよう勧めているが、航行援助施設利用料や着陸料を航空会社から吸収し易くするために問題となつたのでなければ幸いである。」旨の見解が記載されていることや、同年三月一七日付「空港整備特別会計と航空援助サービス料」なる全日空内部資料に航行援助施設利用料は、本来一般会計によるべき現業部門の人件費等を空港整備特別会計によつて賄おうとする構想に基づくものである、旨の記載があることなどを指摘している点について付言すると、証人藤原自身、検察官の反対尋問に対しては、第二次空港整備五か年計画と右行政指導との関連についての主尋問に対する所論に沿う供述部分について、「これは、あくまでも自分達の推測であつて、(運輸省航空)局の方でどういうふうにお考えになつているか、そこまで分らない。」旨証言し、あくまでも同人自身の推測にすぎないとしているのであつて、現判決のこの点に関する認定を覆すに足りるものではない。のみならず、当審取調べの宍倉の証人尋問調書中には弁護人から第二次空港整備五か年計画の財源確保のため大型機の導入を延期するという考え方が当時あつたかどうかについて問われた際、同人が「そのような考えは、役人的な発想ではない。私共の感覚からすると、うがちすぎた理屈であつて、そこまでは言えないという気がする。」旨供述していることに徴しても、当審証人藤原のこの点に関する推測が根拠のないものであつたと認められる。
さらに、前記「航空機の償却方式に関する私見」と題する書面の記載についていえば、定額法は日航その他の航空会社が既に採用していた減価償却方式であり、航空局が全日空に定額法を勧めたのは航空会社の減価償却法を統一する方が航空行政上航空会社を監督しやすいこと、及び運賃が定額法によつて算出されていたことによることは証人藤原の当審証言自身によつて明らかなところであるから、航空局が全日空に対し減価償却の方式について定額法を勧奨したのが、航空会社から航行援助施設利用料を徴収しやすくする意図に出たものとする同証人の証言は信用できない。
次に、「空港整備特別会計と航行援助サービス料」と題する書面の記載についていえば、「歳出項目の維持運営費というのは、人件費が大部分を占めているが、運輸省が昭和四六年度に増額要求したのは同年度以降、現業部門の人件費をすべて賄うという構想に基づくものである。」旨の記載部分は、同四六年三月一七日当時における全日空経理部の推論を記載したものにすぎないことが同日付け常務会議事録の記載から認められる上、もともと空港整備特別会計は、利用者負担の自主財源によつて空港整備を行うという思想によつて設けられたのであり、右特別会計においては、その歳出面において空港現業部門の人件費を計上することはいわば当然のことであるにすぎず、当審で取調べられた昭和四六年度予算書によれば、空港整備特別会計における人件費の比率は昭和四五年度と同四六年度とでほとんど変動がないことが認められるのであり、このことに徴しても証人藤原の従来一般会計で賄われていた人件費をも航行援助施設利用料という形で航空会社にかぶせた旨の証言は前提に誤りがあり、採るをえないものであることは明らかである。
弁護人は、「大久保氏の若狹氏との会合ノート」中の記載が所論を裏付けると主張するが、昭和四六年三月二五日当時日航が標準型七四七、三機購入の許可を求め、航空局が留保したとの前提は、客観的事実に合わないものであり、その余の記述も正確性に問題があり、右「ノート」は所論を裏付けるに足るものとは認められない。
(f) 日航の沖縄線B―七四七LR導入計画についての論旨
なお、弁護人らは、『この日航の沖縄線B―七四七LR導入の事業計画変更認可申請について、右申請は、沖縄の本土復帰を目前にしながら、なお沖縄線は国際線であるからという児戯にも等しい形式論に他ならず、沖縄線は同四七年五月一五日沖縄の本土復帰後は国内線になるので、これを別に扱う必要はないという意見が強かつたのを受けて、被告人が同年四月五日の衆議院において、「閣議了解の具体化作業をやつているので、日航の右申請はその一環として対処したい。」と述べ、また、当時、沖縄の本土復帰後の那覇を幹線に含ませるかどうかさえが一つの大きな問題となつていたことに徴すれば、実現性のきわめて乏しい認可申請であつたことは明らかであり、したがつて、若狹においてこれに対して何らかの手を打つ必要は全くなかつたのであり、この点において原判決は証拠の評価を誤つている』と主張する。
しかしながら、事務当局は、日航の右申請について、従来日航が沖縄線を国際線として運営してきた経緯や復帰前後に予想される需要増にかんがみ、これを認可する方針でいたのであり、右認可が留保されたのは、被告人が日航に対し、間もなく国内線になる沖縄線に大型機投入を認めるのは、全日空に先んじて国内線を大型化する既得権を日航に与えることとなるとして強く反対したためであることは、原判決の説示するとおりであるから、右申請がそもそも児戯に等しい形式論であり、実現の見込みの乏しいものであつたなどとは到底いえないことは明らかであり、右主張は採用できない。
(g) 右導入計画の意図等についての論旨
さらに、弁護人らは、この点に関し、原判決が、「航空局事務当局は、日航の昭和四七年四月一五日から沖縄線にB―七四七LRを就航させたいとの同年三月三一日付け事業計画変更認可申請に対し、従来から日航が同線を国際線として運営してきた経緯及び復帰前後に予想される需要増にかんがみ、右申請のとおり早期導入が必要であると判断し、これを認可すべく処理しようとしたが、その段階で、被告人から、間もなく国内線になる沖縄線への大型機投入を日航に認めるのは、全日空に先んじて国内線を大型化してもよいとの一種の既得権を日航に与えることとなるから反対である旨の強い主張があつたため、右認可を留保せざるを得なかつたということが認められる。」と判示していることについて、『日航が沖縄線についての右事業計画変更認可申請をしたのは、沖縄復帰前に日航の大型機就航という既成事実を作り、那覇をローカル線とする論議に終止符を打とうと企図した作為的なものである』とか、『事務当局が日航の右申請を認可しようとしたのは、日航に大型機導入を延期させるための資料として、航空局監督課が作成し日航に手渡した同四六年六月一日付け「四七年度幹線機材計画について」と題する書面でジヤンボ転用が考えられる路線として東京―沖縄の路線を示唆していたことから、これにしばられたことによるものである』とも主張する。
しかしながら、日航の右事業計画変更申請が、日航の当時における東京―沖縄線の座席利用率及び旅客数が激増していた情勢をふまえ、かつ、同四七年五月一五日の沖縄復帰に伴う需要増加に対処するための措置として、事務当局と相談の上でなされたものであることは、原審で取調べられた関係各証拠により明らかであつて、所論のいうような作為的なものでも、従前の行政指導の経緯にひきずられた結果でもないことは疑いを容れず、右主張も失当というべきである。
(h) 右導入計画と昭和四七年三月二二日の航対委の反対意見との関連についての論旨
また、弁護人らは、『この点について、同四七年三月二二日の航対委において、沖縄線を国内幹線とすることに反対する意見があつたことから、日航が急遽前記のように大型機就航の既成事実を作るべく右認可申請に及んだものである』とも主張するが、航対委において反対意見があつたとはいつても、日航は国際線として沖縄線を現に運営してきた実績を有しているのであるから、沖縄復帰後直ちに同線から撤退しなければならないなどとは、日航及び事務当局はもとより、全日空においてすら想定していなかつたことは、住田、町田、山本、橋爪の原審各証言や藤原の検察官に対する昭和五一年九月一四日付供述調書に徴しても明らかであつて、日航において急遽右のような既成事実を作つて沖縄線から追い出されるのを防がなくてはならないような差し迫つた状況にはなかつたというべく、この申請は増加する需要に答えるためなされたものであつたと認められるのであるが、若狹らは、当時、沖縄線への四七年度からの大型機導入が認められると、日航が実績を盾にして国内幹線への大型機導入時期を早めようとすることをおそれていたのであり、そのため、被告人に対し、大型機導入の時期を沖縄線も含めて同四九年度からとするよう請託していたことが認められるのであつて、かような諸状況に照らせば、事務当局において日航の右事業計画変更認可申請を許可することに被告人が反対したのは、右の請託を配慮したことによるものと認められ、右主張もまた採用できない。
なお、弁護人は、『全日空の同四七年四月一九日付「国内線への大型機導入問題」と題する書面は、前記事業計画変更認可申請の処理に苦慮した事務当局の要請により提出したものである』とも主張するのであるが、そもそも前記のように右事業計画変更認可申請は、日航があらかじめ事務当局と協議した上でなしたものであるから、事務当局がその処理に苦慮する筈はなく、右書面が藤原において、事務当局の意向にかかわりのない全日空の陳情を記載したものであることは原審で取調べられた関係各証拠により明らかであり、右主張もまた採用できない。
(i) 東亜国内航空の幹線参入能力についての論旨
弁護人らは、原判決が、「若狹が被告人に対する第一回請託において、当分の間東亜国内航空の幹線参入を認めず、仮にこれを認めることとなつた場合は、日航のシエアの縮小によつて行うことを請託した。」と判示している点について、『東亜国内航空は、幹線参入の前段階としてローカル線のジエツト化を熱望していたが、事務当局は、昭和四六年七月のいわゆるばんだい号事故以降、安全体制確立の観点から同社のジエツト化を認めず、幹線参入がいつ実現するかわからない状況にあり、東亜国内航空は直ちに幹線参入できる能力がなく、また、当時、東京国際空港及び大阪国際空港は、航空便の発着枠に制限があるため容易に増便できない状況にあり、東亜国内航空がどんどん幹線に参入できる状態になかつた。
被告人も当分の間同社を幹線参入させるつもりはなく、全日空も被告人のこうした意向を知悉していたから、右のような請託をすることはありえない』と主張する(控訴趣意書第一部第三点の二、第七点の(二))。
しかしながら、原審で取調べられた関係各証拠によれば、事務当局は、東亜国内航空が、発足後間もなくの同四六年七月にばんだい号事故を起こし、安全体制に問題があることを露呈したことなどから、同社のジエツト機導入に対して安全確保の観点から懸念を抱き、そのチエツクは行つていたものの、基本的に同社の収益性を向上させるためには、ジエツト機による運航が必要であるとの認識をもち、同社がジエツト機を導入すること自体について否定的な考えを持つたことはなかつたことは明らかであるし、本件閣議了解では「新会社は、……将来、安全体制の確立を含め企業基盤の充実強化がなされた段階において、幹線における航空輸送需要の動向に即応し、航空法に定める要件を充足すれば、幹線運営を認めるものとする。」とされていたのを、「第一次佐藤案」では「同四七年度にローカル線の一部にジエツト化を認め、その実績をもとに幹線運営を認める。」として、被告人が東亜国内航空救済のため同社のジエツト化を当該年度中に実現させたうえ、幹線参入を早急に認める方向を打ち出しており、他方、東亜国内航空は、その前身である日本国内航空が日航に幹線の運営を委託して賃貸していたB―七二七型機三機につき、同四六年六月二五日付けで日航から返還の通告を受け、その後の交渉を経て、同四七年三月から四月の間に順次同機の返還を受けて幹線用機材として保有しており、第一次佐藤案に対する修正意見書において、「東亜国内航空の事業分野につき『昭和四八年度から日航の協力の下に幹線参加を、同四九年度から幹線のジエツト機による自主運営を認め、幹線の需要増による増機、増便等は原則として東亜国内航空に割り当てる』との趣旨に改める」よう要望していることからも明らかなように、早急な幹線参入と幹線におけるシエアの急速な拡張を企図していたこと(以上は原審で取調べられた関係各証拠により明らかである。)に徴すれば、全日空が東亜国内航空に自社の幹線シエアをくわれることを極力おそれ、東亜国内航空の幹線参入をできるかぎり抑え、仮にこれを認めるとしても、日航のシエア縮小により実施されるようにもつて行くことを意図し、本件閣議了解具体化作業の中心人物である被告人に働きかける必要があつたことは明らかであり、このことは、藤原が原審公判廷においても、「東亜国内航空の幹線参入ということは全日空にかなりの影響を及ぼすことはもちろんである。」と供述していることや全日空が、第一次佐藤案に対する修正意見書において東亜国内航空の幹線参入につき、「日航のシエアの段階的縮小において実施する。」旨の文言を付加するよう被告人に要望し、更に、若狹自らが被告人に手交した昭和四七年五月八日付け(願)においても、「東亜国内航空の幹線参入は日航の段階的縮小において実施されたい。」「(幹線についての)現在における需要の客観的情勢から判断し、昭和四七、四八年度の増便、増席による供給力の増加の要はないものと考える。」「東亜国内航空が幹線に参入するまでは全日空が増便、増席を行い、東亜国内航空が幹線参入を認められた時点以降の増便、増席は全日空と東亜国内航空平等に考えていただきたい。」などと要望していることからも、十二分に裏付けられているといわなければならない。
また、東京国際空港及び大阪国際空港が輻輳し発着規制が行われていたことは所論指摘のとおりであるが、そうであるからこそ、東亜国内航空の幹線参入は、全日空にとつて、そのまま自社の減便につながる危険が強かつたのであり、所論指摘の右各空港の輻輳状態は、むしろ全日空の請託の必要性を強める事情であつたといわなければならず(若狹が検察官に対する供述調書において、「できるだけ全日空の既存の便数を減らさずに済むよう、東亜国内航空に与える許可、認可数を押さえてもらうか、もし既存の便数を減らさなければならない場合には、全日空の便数を減らさずに日航の分を削るよう取り計らつてもらわなければ、全日空は会社の業績を維持し得ず、業績のダウンをきたすことになる。」と述べていることからしても、このことは十分に裏付けられているというべきである。)、弁護人らの主張が理由のないものであることは明らかである。
(j) ダブル・トラツキングと東亜国内航空の企業能力についての論旨
さらに、弁護人らは、原判決が「若狹が被告人に対する第一回請託において、ローカル線のダブル・トラツキングについては、全日空の運営している路線に東亜国内航空の参入を認めるだけでなく、全日空にも東亜国内航空が運営している同等の路線に参入することを認める相互平等主義に則つて実施し、当該路線の利用率が一定水準、例えば七〇パーセントに達しないうちは認めないことを請託した。」と判示している点について、『当時東亜国内航空はYS一一型しか有しておらず、すでに全日空がジエツト化している路線にYS一一型機によりダブル・トラツキングをしてみても全日空に到底太刀打ちできないことは明らかであるから、全日空の路線にダブル・トラツキングをするためには、まず自社路線のジエツト化が先決であつたのであるが、その自社路線のジエツト化さえ思うように進めえない状況にあつたのであり、加えて、ばんだい号事故もからみ、ダブル・トラツキングはもとより、自社路線のジエツト化さえ直ちに実現しうる見通しはなかつたのであり、また、仮に、ダブル・トラツキングが認められるとしても新たな空港に乗り入れるためには、旅客の搭乗手続のための設備、航空機を整備するための設備、営業所を設置し、これらに必要な人員を配置する必要があり、東亜国内航空の企業能力からしてせいぜい年間一、二路線程度にすぎないと見込まれる状況にあつたのであるから、全日空としては何ら神経をとがらせる必要はなく、したがつて、東亜国内航空の全日空運営路線に対するダブル・トラツキングについて、若狹が原判決が認定しているような請託をする筈はない』と主張する(控訴趣意書第一部第四点、第七点の(三))。
たしかに、当時の東亜国内航空がYS一一型機しか有せず、経営基盤がきわめて弱かつたことや、同社にとつてはジエツト化の方が当面の急務であつたことなどは所論指摘のとおりであるが、それだからこそ東亜国内航空は、速やかにジエツト化を進めたうえ利用率の高い全日空路線に進出して収益力を高め経営基盤を強化する必要があつたのであり、被告人の本件閣議了解の具体化作業もまさにそのような東亜国内航空の事情、要望を背景として、同社の権益を拡張しようとの意図のもとに着手、推進されたものであることにかんがみれば、この作業により東亜国内航空のジエツト化と全日空運営路線への進出が遠からず実現されるにいたることも十分考えられるところであつたというべきであり、当時、東亜国内航空の運営するローカル線は、利用率が低い路線が大部分であつたのに対し、全日空の運営するローカル線は東京、大阪を中心とした利用率の高い路線であつたため、全日空としては、東亜国内航空とダブル・トラツキングを実施しても得るところはほとんどなかつたこと、右のような実情であつたところから、全日空は、東亜国内航空発足後、運輸省から本件閣議了解に基づき、ダブル・トラツキングの実施について東亜国内航空と協議するようにとの行政指導を受けたが、ばんだい号事故の発生等を口実に右の協議を行おうとしないまま同四七年に至つていたこと、全日空が第一次佐藤案に対する修正意見書において、この問題について、「過当競争の弊が生ずることのないよう十分慎重を期し」との文言を付加する旨枠をはめるよう求めており、また、第二次佐藤案において、この問題について、東亜国内航空の全日空路線への一方的乗入れの主張を排斥して「ローカル線約七〇パーセントを越える見通しが明らかになつた場合」「毎年各社二路線の範囲内」という枠がはめられたのに、被告人宛の昭和四八年五月八日付「航空企業の運営体制について(願)」においても、「ローカル線のダブル・トラツキングの実施に当つては慎重を期し、また、これを実施する場合は平等に相互乗入れを行うこと」をさらに要望していること(以上の事実は、原審で取調べられた関係各証拠により明らかである。)、若狹が捜査段階において原判決の認定に沿う供述をしているのみならず、原審公判廷においても第一次佐藤案のローカル線の二社運営の項に「過当競争の弊が生ずることのないよう十分慎重を期し」との文言の付加を求めた理由を尋ねられ、「東亜国内航空が将来成長した場合当然ジエツト機を使うわけで輸送力も大きくなるわけだから、無制限に入つてきて競争を挑むことになるとダンピング等過当競争となる。全日空のロードフアクターが七〇パーセント以上になつた場合ダブル・トラツクを開いてもいいと考えていた。」旨、第一回請託の内容と符合する証言をしていることを併せ考えると、同人の「東亜国内航空という会社ができた以上、我々も何とか同社を育てていきたいという考えはあつたけれども、同社の進出を恐れて被告人にお願いに行かなければならないということは考えられないことである。」旨の原審証言が信用できず、若狹が、ダブル・トラツキングの実施を強く危惧していたことは明らかであるといわなければならない(このことは、当審で取調べられた全日空経営企画室作成の「ダブル・トラツクについての基本的な考え方」と題する書面の記載内容によつても、十二分に裏付けられているところというべきである。)。弁護人らの右主張は採用できない。
(k) 結語
そして、弁護人らのその余の主張につき按ずるまでもなく、原審で取調べられた関係各証拠によれば、原判決が若狹の第一回請託に関して判示しているところはすべて、優にこれを肯認することができるのであるから、原判決には所論のような事実の誤認はない。論旨はすべて理由がない。
(七) 幹線増便基準に関する事実誤認の控訴趣意(控訴趣意第一部第三点)
所論は、原判決が、第四の二の2の<3>に「同四七年四月中旬ころ、住田ら航空局の事務当局幹部が、被告人の具体化作業案について検討した結果、「幹線増強シエアをあらかじめ三社に数字的に割り振ることは、行政作用により利権配分をするに等しいだけでなく、その配分内容は余りにも急激に日航のシエアを押さえ東亜国内航空、全日空のシエアを伸ばそうとするものであつて到底容認し難い」との事務当局のかねてからの見解を改めて確認し事務当局対案を作成した。」旨判示している点について、『運輸省が昭和三九年一一月六日に発した示達「国内幹線の運営体制について」において国内幹線の各社のシエアは従来路線別の便数比によつて決定するとしていたのを今後は各社別の幹線投入機数によつて決定することとし、これによる昭和三九年度の幹線投入機数を日航一〇、全日空七、日本国内航空三とするとともに、今後の増加分を三社に均等に配分するとしていることからも明らかなように、幹線増強シエアを予め数字的に割り振り後発企業のシエアを伸ばそうとするやり方は従来から航空局が採つていた方法なのであるから、被告人が幹線増強シエアをあらかじめ数字的に三社に割り振ることが即利権配分に等しいとする航空局事務当局者の見解は誤つたものであるのに、これを盲信して前記のように判示した原判決は、証拠の評価を誤り事実を誤認したものである』というのである。
たしかに、昭和三九年当時、所論指摘の示達によつて所論のような航空行政が行なわれていたことが認められるけれども、原審において、町田、住田、山本、内村、橋本(昌)らの述べている処からは、昭和四七年当時の事務当局の見解は原判示の通りであつたと認められ、所論指摘の原判示部分は運輸省事務当局関係者が、昭和四七年当時の急速に発展している航空界の流動的な実情をふまえたうえ、第二次佐藤案の幹線増便に関する三つの案のような増便枠の配分をすることは、行政を硬直化させ、ともすれば特定の航空会社の犠牲において特定の航空会社の利権を擁護し拡張することにつながりやすく、利権配分をするに等しいとの見解で事務当局対案を作成したという事実を認定判示しているにとどまるもので、その事務当局の考え方の正否や第二次佐藤案の当否を論じている部分ではないのであるから、所論指摘の原判示部分に関する限り、証拠の評価の誤り、ないし、事実誤認のかどはなく、論旨は採用できない。
(八) 第二次佐藤案に関する事実誤認の控訴趣意
所論は、『第二次佐藤案は若狹の第一回請託を配慮して作成されたものであるとの原判決の認定は事実を誤認したものである』というのである。
そこで、弁護人らの個々の主張に即して当裁判所の判断を示すこととする。
(a) 事務当局案との関係についての論旨
まず、弁護人らは、『大型機導入時期やローカル線のダブル・トラツキングに関する記載にかんがみれば第二次佐藤案が事務当局案を下敷きにして作成されたものであることは明らかである』と主張する。しかしながら、事務当局案(甲二124中下から二つめに綴られている「航空企業の運営体制について(案)」)は、橋本(昌)が被告人において後に第二次佐藤案となつたと同じような内容の通達案を三月二二日航対委提出案を改訂(甲二124末尾)して作成しようとしているのを知り、これを住田ら上司に報告したことからその対案として事務当局において右の改訂案を加筆修正(甲二118中四番目に綴られているもの)しこれにもとづいて作成されるにいたつたものであることは、原判決が説示しているとおりであり、かかる経緯や第二次佐藤案が沖縄線についても昭和四九年度以降とするとしている点で事務当局案と全く異なつていることにかんがみれば、第二次佐藤案が事務当局案を下敷きに作成されたなどということがありえないことは明らかであり、右主張もまた採用できない。
なお、弁護人らは、この点について、『事務当局対案は同四七年四月一九日に事務当局から被告人に手交されているところ、全日空が最初に大型機の導入時期についての意見を表明したのは、同年四月一九日付け「国内線への大型機導入問題」と題する書面によつてであるから、事務当局対案が大型機導入時期を「同四九年度から」としているのは、全日空の意向とは無関係であり、また同案が全日空の意向に沿つた被告人の見解に対する対案ということもあり得ない』とも主張するが、右主張は、若狹の第一回請託やその前後における藤原の原判示のような陳情請託がないことを前提とするものであるから、その前提を欠くものといわざるをえないうえ、甲二124中一番末につづられていて右肩に<1>とある「[改訂]航空企業の運営体制について」の中に「国内線への大型ジエツト投入は四九年度からする。なお沖縄返還後の那覇もこれに従う」との記載があるところ、この記載につき、原審証人橋本(昌)は、「私が政務次官室へお手伝いに行つたごく初めの段階で既にそういう考え方が出てきていたのではないかと思う」「なお書き以下は明らかに全日空の当時主張していたことをそのまま認めたことになろうと思う」旨供述していること、事務当局対案は、右の[改訂]案の内容の報告をうけた事務当局が作成したものであるが、対案(甲二134中)には、「国内線への大型ジエツト機の投入は……昭和四九年度から実施する」とあり、なお書き以下に相当する部分がないこと、原判示のように藤原が被告人に対し、国内線への大型機の導入は沖縄線を含め同四九年度からされたい旨の陳情を重ねていたことに鑑みれば、右対案が全日空の意向に沿つた被告人の見解に対する対案ということはありえない旨の主張は採用できない。
(b) 大型機導入時期に関する記載と東亜国内航空の修正意見との関連についての論旨
次に、弁護人らは『第二次佐藤案において、大型機導入時期を「昭和四九年度以降」と、同四九年度よりもさらに遅らせることをも含みとする、東亜国内航空の第一次佐藤案に対する修正意見書に近い表現をとつていることからしても、第二次佐藤案が東亜国内航空の意向に沿つたもので、全日空の請託を配慮したものではないことは明らかである』と主張する。
しかしながら、若狹の第一回請託における要望が、すでに「大型機の国内幹線導入時期を同四九年度以降としてほしい。」というものであつたのであり、また、後に若狹が第二回請託の際に被告人に提出した昭和四七年五月八日付「(願)」及び全日空作成にかかる同月二六日付「航空企業の運営体制について(要望)」と題する書面においても、いずれも全日空の要望として、「大型機の国内線導入は昭和四九年度以降としていただきたい。」となつていることに徴すれば、第二次佐藤案が大型機導入時期を「昭和四九年以降」とし、「昭和四九年」とはなつていないからといつて、このことから若狹の第一回請託を配慮したものではなく、専ら東亜国内航空の意向に沿つたものであることが明らかであるなどとは到底いえないというべきである。右主張も採用できない。
(c) 幹線増強基準に関する記載についての論旨
また、弁護人らは、『幹線の増強基準に関する三案について被告人が第二次佐藤案で幹線の増強基準につき三案を併記しているが、それは各界の意見を取り入れたもので、若狹の第一回請託の趣旨を取り入れたものではない』と主張する。
そこで、第二次佐藤案に併記された三案を検討すると、そのうちの第1案は、東亜国内航空が提出した要望書の趣旨に沿い、「日航の増便を全面停止し、東亜国内航空の幹線参入前は全日空が、参入後は東亜国内航空が、それぞれ増便する」という内容であり、第2案及び第3案は、「同四七、四八年度は全日空2・日航1の割合、東亜国内航空が幹線参入する同四九年度以降は東亜国内航空3・全日空2・日航1の割合で増便比率に差をつける」というもので、そのいずれの案も、全日空に有利なものであり、前述のように若狹が被告人に対する第一回請託において、「当分の間東亜国内航空の国内幹線参入を認めず、仮に認めた場合は、日航のシエアの段階的縮小によつて行うことを、本件運輸大臣通達に定められたい。」旨要望しており、右の三条がその趣旨に沿うものであることに徴すれば、第二次佐藤案のこの点の記載が、所論の指摘する各界の意見(その中には全日空の加削修正案、甲二145、全日空の意見書甲二137が含まれる。)などをも考慮に入れて作成されたにしても、若狹の右請託を勘案して作成されたものと認められるし、また後述の大型機導入時期、全日空の近距離国際不定期の範囲、ダブル・トラツキングなど請託や陳情の内容が第二次佐藤案にもり込まれていることを勘案すると、被告人が「若狹らの請託……等を勘案し」第二次佐藤案を作つた旨の原判示は相当であり、弁護人らの右主張も採用できない。
(d) ダブル・トラツクキングに関する記載についての論旨
弁護人らは、第二次佐藤案が、「ローカル線の二社による運営は、四八年度以降五一年度までの間、基準を上回る路線のうちから毎年各社二路線の範囲内で行うものとし、五二年度以降は両社協議の上決定するものとする。」としている点についても、『第二次佐藤案の右記載は被告人が若狹から第一回請託を受けその趣旨を盛り込んだものではない』と主張する。
しかしながら、もともとダブル・トラツキングの実施は、利用率の低いローカル路線を中心に運営している東亜国内航空を利用率の高い全日空のローカル路線に乗り入れさせることによつて後発企業である同社の育成を図ろうとすることをねらいとするものであり、全日空にとつては、東亜国内航空の路線で乗り入れるメリツトのあるものが一、二路線しかなかつたことから、その実施を極力押さえようとしていたのであり、若狹が第一回請託において、相互平等主義にのつとつての実施を要望したのも、それにより、全日空が乗り入れを希望しない限り東亜国内航空も乗り入れできないこととなつて東亜国内航空が強く希望しているダブル・トラツキングの実施を実質的に阻止し得ることをねらつたものと認められるのであるところ、若狹ら全日空の第一回請託の内容と、東亜国内航空が被告人に要望していた「実施期間を限定せずに毎年二路線ずつ全日空路線への一方的乗り入れ」(「要望書」)とを対比してみれば、被告人が第二次佐藤案において、前記のように相互乗り入れを認め、かつ、実施期間及び路線数につき、「昭和四八年度以降同五一年度までの間毎年各社二路線の範囲内で行う。」としたのは、全日空の右請託の趣旨を勘案し、妥協的解決をはかろうとしたものと認められ、弁護人らの右主張も採用できない。
(e) 近距離国際線に関する記載についての論旨
弁護人らは、第二次佐藤案に「全日空の近距離国際不定期(又はチヤーター)の逐次充実を図り、その範囲を、当面東アジア(シベリヤ地方を含む)、東南アジア、サイパン及びグアムとする。」と記載されている点についても、『若狹らの意向を配慮し、その請託の趣旨に沿つたものではなく、このうち、「近距離国際不定期(又はチヤーター)」なる表現は、橋本(昌)の助言によるものである』と主張する。
しかしながら、同人が被告人から「不定期」と「チヤーター」について尋ねられ、「不定期」と「チヤーター」とは違うことを説明し、かつ、本件閣議了解では近距離国際チヤーターという表現になつており、国際不定期航空運送事業という表現は右閣議了解のラインからはずれているので近距離国際チヤーターとすべきであると申し述べたことは、同人の原審証言からして明らかであり、かかる同人が狭義の不定期をも包含するような表現にするよう助言することはありえないというべきである。事務当局は終始狭義の不定期をも全日空に認めるような表現をとることは本件閣議了解の枠を逸脱するとしていたのであり、本件閣議了解具体化作業の最終段階にいたつても、被告人が、原判示のように、内村、山本の右のような意見具申にもかかわらず、「不定期」という表現を残すよう固執していることを併せ考えると、第二次佐藤案の「近距離国際不定期(又はチヤーター)」という表現が、橋本(昌)あるいはその他の運輸省事務当局関係者の助言、示唆によるものではないことに疑いをさしはさむ余地はない。また、前述のように、若狹が第一回請託において、被告人に対し、近距離国際定期への進出を念願としているのでよろしくと申し向け、また北御門及び藤原(昭和五一年八月一六日付)の検察官に対する各供述調書によれば昭和四七年四月初ころから、同人らが、将来の近距離国際線定期進出への足がかりとするため当面国際線不定期への進出を認めてほしい旨被告人に陳情し、あわせて、その仕向地として「東南アジアのほかに、グアム、サイパン、シベリヤ(ハバロフスク)」などを通達案に明記してほしい旨陳情していたと認められることに徴すれば、第二次佐藤案のこの点の記載が若狹ら全日空関係者の右のような働きかけを受けてこれに沿つたものであることは明らかであつて、弁護人らの右主張も採用できない。
なお、『第二次佐藤案中の全日空近距離国際不定便の仕向地に関する記載は、橋本(昌)の提案によるもので、全日空の意向を配慮したものではなく、このことは、右記載が藤原の右陳情よりも仕向地を限定しているところからも窺われるところである』との主張についていえば、第二次佐藤案に右のような仕向地の記載がなされるにいたつた経緯は、前述のように被告人が藤原から仕向地として具体的地名を明記してほしい旨の陳情を受け、橋本(昌)に指示して、当時全日空が保有していたB―七二七―二〇〇型機の航続距離(ワンフライトで飛行できる距離)の範囲内の地点をピツク・アツプさせ、その結果を第二次佐藤案にそのまま織り込んだというものであり、事務当局自体は全日空の近距離国際線についてあらかじめ仕向地の具体的地名を通達に織り込むことには消極であつたことは、原審で取調べられた関係各証拠により明らかであるから、橋本(昌)の右作業が同人自身の希望、意向によるものではなく、単に被告人の指示にしたがつてもつぱら技術的観点からB―七二七―二〇〇型機の航続距離の範囲内の地点をピツク・アツプしたものにすぎないと認めるべく、やはり第二次佐藤案のこの点の記載もまた全日空の請託、陳情に沿い、全日空に配慮した被告人自身の意向によるものであるといわなければならない。弁護人らの右主張も採用できない。
(f) 自民党の党議等との関連についての論旨
なお、弁護人らは、『被告人は、自民党の党議等に拘束されていたのであるから、原判決が認定しているように、若狹らの請託を受けて独自の判断で航空行政を動かす自由は有していなかつた』とも主張する。
しかしながら、被告人は当時運輸政務次官として原判示のような職務権限を有していたのみならず、本件閣議了解の具体化作業については、あらかじめ丹羽運輸大臣からこれを進めて運輸大臣通達にまとめることについて了承を得ていたのであるから、最終的には大臣の決裁を要するものであり、その作業の過程においても自民党航対委の意向を実際上無視できないという制約があつたにせよ、右作業についてかなり広い裁量権を有していたことは明らかであつて、右主張もまた採用できない。
現に、昭和四七年四月二八日ころ第二次佐藤案を検討するために衆議院内自民党政策審議室に航対委の有力メンバーが集合した際、幹線増便基準について第一乃至第三案や、近距離国際不定期またはチヤーターの範囲につきサイパン、グアムなどの地点の記載について「こんなことは行政サイドで決めるべきことで我々が関与するのは行政介入になるのではないか。」との意見が出、結局閣議了解の線を具体化する必要を確認するだけで散会になつたことや、原審証人松末孝雄の供述といずれも昭和四七年四月二七日付の甲二336および337のメモの記載から、第二次佐藤案を航対委で早急にとりあげるよう被告人が動いていたことについて航対委特別委員会委員長福永一臣や、丹羽運輸大臣、航空局事務当局者も好意的な立場になかつたことが窺われることに鑑みれば、具体化作業の過程で被告人が独走ぎみであつたと認められる。
(g) 結語
以上の各説示からして明らかなように、第二次佐藤案が若狹の第一回請託を勘案して作成されたものである旨の原判決の認定は正当であつて、右認定に事実誤認のかどはない。論旨はすべて理由がない。
(九) 第二回請託に関する事実誤認の控訴趣意
所論は、原判決が、「全日空は、昭和四七年四月末ころ第二次佐藤案を入手し、若狹はこれを見て、全日空の利益擁護のため被告人に働きかけておく必要があると考え、配慮を求めたい事項を列挙し、『これらの施策を実施していただきたくお願い申し上げる。』との趣旨を記載した『政務次官佐藤孝行殿』あて昭和四七年五月八日付け(願)を作成し、同日ころ藤原とともに運輸政務次官室に被告人を訪ね、若狹が右書面を被告人に手交し、右書面記載の全日空の要望を通達中に定められたい旨依頼して請託した。」と認定している点について、『若狹は第二次佐藤案を町田から内密に入手し、同人の示唆によつて、昭和四七年五月八日付け(願)を被告人に提出したのであり、若狹の右書面は、被告人に対する請託というものではなく、被告人を含めた運輸省に対する意見の提出に過ぎない』というのである(控訴趣意書二三四頁―二三九頁)。
(a) 第二次佐藤案の入手経路についての論旨
そこで、まず、全日空の第二次佐藤案の入手経路について検討すると、原判決は、「若狹が町田次官から同人の秘書吉本を通じて手渡されたもののほかに、『藤原が被告人から同四七年四月末ころ手渡された』ものがある。」旨の検察官の主張に対し、「藤原、若狹の証言及び検察官の調書の供述記載、北御門の検察官調書の供述記載を総合すると、全日空では町田から入手したもののほかに、藤原が被告人から第二次佐藤案を入手していたものと認められないではない。」としながら、「そのように断定するには、全日空から押収された第二次佐藤案が4/28書面のみである(同書面の上部欄外の記載に徴し、右書面は町田から渡されたものと認めるのが相当である。)ことに徴し、なお疑問が残る。」と判示しているのであるが、藤原の当審において取調べられた、検察官に対する昭和五一年八月一六日付、同年九月二日付及び同年同月一四日付各供述調書における「四七年四月下旬に、佐藤次官は二回目の草案を作られ………私共も佐藤次官からその草案を頂いて見た。」「佐藤次官が作られた二回目の試案が四月二八日の試案で、そのころ私が佐藤次官からもらつてきた。」「私自身佐藤次官からこの二回目の案をもらつてきた。」との各供述記載、若狹の検察官に対する昭和五一年八月一六日付及び同年九月五日付各供述調書における「四七年四月下旬ころ、藤原が佐藤政務次官に呼ばれ、最初の案に手直しをしたものだと言われ、新しい案をもらつてきた。」「(4/28書面と)同じ文書は、四七年四月下旬ころ、藤原が佐藤政務次官からもらつてきたので見ておる。」との各供述記載、及び北御門の検察官に対する供述調書における「この案(第二次佐藤案)は最初私が(被告人の)秘書吉井(渥子)から入手して藤原に届けた。これと同じ内容の書面を藤原が直接佐藤先生からもらつてきたこともあるはずである。というのは、藤原がこの案を持つて私のところに来て、『佐藤先生からこれを渡されたが、部下の北御門があなたの秘書から既に手に入れているとも言えず、黙つて御礼を言つてもらつてきた』と言われたので覚えているからである。」旨の供述記載は、第二次佐藤案が、第一次佐藤案について被告人の求めに応じ、全日空が被告人に提出した修正意見書が考慮に入れられた内容のものであること、及び本件閣議了解具体化作業着手当時から藤原らがこの件について被告人とかなりひんぱんに接触し、働きかけていたという経緯に照らすとき、被告人が藤原に第二次佐藤案を渡すということは大いにありうるところというべきであること、とくに北御門の右供述はその供述内容からして鮮明な記憶にもとづくものと認めざるをえないこと、藤原及び若狹が、原審においても、それぞれ「はつきり覚えていないが被告人から(第二次佐藤案を)もらつてるかもしれない。」旨「事務次官からもらつた案のほかに藤原からも(同じ案を)示されたと思う。大体同じようなことが書いてあつたようで、どこがどういうふうになつていたかということは明確に記憶しているわけではない。」旨証言して(なお、原判決は、若狹が八一回公判では、これを否定する趣旨の証言をしているとするが、同人の八一回公判における証言は藤原から第二次佐藤案を見せられたことを積極的に否定しているものではない。)、捜査段階におけるこの点の供述を否定していないことにかんがみれば、藤原、若狹及び北御門の捜査段階における右各供述は十分に信用できるものと認めるのが相当であり、全日空から押収した証拠物の中に町田から入手したものしかないからといつて、直ちにそのことから右以外に藤原が被告人から入手したものがなかつたことになるという筋合いはないというべく、したがつて、若狹が町田から受けとつたものの他に、北御門が被告人の秘書吉井渥子から受け取つたものと藤原が被告人から直接受け取つたものがあつたと認められる。なお、若狹は、当審において、「(町田事務次官から入手した案があることを)おそらく忘れており、検事から聞かれて、あるいはそうであつた(藤原が被告人からもらつてきた)かもしれないと述べたのではないかと思う。」旨証言するが、右証言は、若狹がすでに捜査当時において、町田から入手したとされる第二次佐藤案(甲二127中)を示され、「四月下旬ころ藤原が同じ文書を佐藤政務次官からもらつてきたので見たことがある。この文書はどこから入手したのかはつきりしないが、当時町田事務次官から連絡を受け、部下に命じてもらいに行かせたことがあつた。」旨供述していること(若狹の検察官に対する昭和五一年九月五日付供述調書)に照らして措信できないところというべきであるし、同人が、当審において、「五月八日に提出した『願』(「五月八日付け(願)」を指す。)は、第二次佐藤案について一言半句も答えるところがないことからも、この『願』は、そういうもの(第二次佐藤案)を渡される以前に出したものであると今日では判断している。」旨証言するところも、同人が原審において、「町田事務次官及び藤原から第二次佐藤案を見せられたことがきつかけとなつて、はつきりしておかなければいけないと感じ、全日空の考え方を明確にした文書を差し上げた方がよいということになつた((ので、右五月八日付け(願)を被告人に提出した))。」旨明確に証言し、藤原も原審証言において、これを裏付ける供述をしていることに照らし、到底信用できないものといわざるをえず、さらに、若狹が、当審において、この点における原審証言とのくいちがいについて、何ら納得のできる合理的な説明をしていないことを併せ考えるとき、同人の当審証言中第二次佐藤案を五月八日付(願)提出まで被告人から入手していない旨供述するところは、措信しえない。この点は、藤原についても同様というべきである。すなわち、同人は、当審において「被告人から第二次佐藤案を入手したのは五月八日であり、同人が同じ案を二回渡すとは思われないから、四月下旬に被告人から同案を入手したと供述したのは誤りである。」旨証言するのであるが、同人が単独で被告人から直接第二次佐藤案を入手したという事実と若狹の随行として被告人を訪れた際に被告人から事務当局案とともに第二次佐藤案を手交されたという当審証言のような事実とは、客観的、状況を全く異にしており、事柄の性質上およそ記憶の混同が生ずることはありえないところと認められること、及び藤原が、昭和五一年九月四日に保釈された後に作成されている、検察官に対する同年九月一四日付供述調書においても、「私自身が佐藤次官からこの二回目の案をもらつてきた。」旨明言していることに照らすと、同人のこの点に関する当審証言も到底信用できないものといわなければならない。
(b) 被告人秘書保管の第二次佐藤案等の欄外書き込みについての論旨
なお、弁護人らは『議員会館の被告人事務所から押収された被告人秘書の吉井渥子のフアイル中の第二次佐藤案及び事務当局案の欄外にそれぞれ、「5/8 17:00~18:30 佐藤政務次官→社長 企画室長」「吉井様用」とある書き込みは北御門の筆蹟であり、この書き込みは、昭和四七年五月八日に若狹と藤原が同日付「航空企業の運営体制について(願)」を持参し陳情した際に被告人が右両案を同人らに手交し、後日北御門がこれらを吉井渥子に届けたことを表わすものであるから、この事実からしても、第二次佐藤案が吉井渥子から北御門へ、あるいは被告人から藤原へ手交されていないことは明らかである』と主張するので、この点について按ずるに、北御門は、原審証言においては、捜査段階における前記供述について、「私と藤原が(被告人らから)ダブつてもらつてきた案は、(私の作成した)計算書と計算基礎を同一にする案である(のに、第二次佐藤案と混同していた)。」旨弁解し、さらに、当審においては「吉井秘書から同案をもらつたような気もするし、もらわなかつたというような気もして、どうもその点ははつきりしないが、少なくとも私が届けたものを吉井からもらつたことはないと考えている。」旨弁解しているのであるが、前者は、同人の検察官に対する前記供述調書に北御門が被告人の依頼で作成した幹線増強基準比較表の計算基礎とされた案は、六月ころに藤原が被告人から新たに入手した試案である旨の供述記載があることに照らし、およそ信用性を欠くものというべきであるし、後者は、捜査段階の供述を積極的に否定したものではなく、単に吉井秘書から第二次佐藤案をもらつたのであれば、同案を再び吉井秘書に届ける必要はないのではないかという、捜査段階における前記供述に対し及び腰に疑問を投げかけているにすぎないものであるところ、北御門の吉井秘書に同案を届けた旨の当審証言は、<1>北御門が一たん被告人から受け取つたものをなぜ後日被告人の秘書に届ける必要があつたのかという点でそもそも甚だ了解に苦しむものといわざるをえないこと、
<2>その前提となる若狹及び藤原が昭和四七年五月八日に事務当局案とともに第二次佐藤案を入手した旨の同人らの当審証言が、同人らがこの事実について、「捜査段階及び原審当時は忘れていたが当審公判段階に至り、弁護人から右両案(甲二134中)を見せられて記憶がよみがえつた。」旨証言しているけれども、そもそも、右証言どおり、被告人に請託をするという重要な局面において、しかも被告人からそれまでに公表されていない事務当局案を含めて右両案をはじめて示されたというのであれば、このような印象的な事柄について、捜査段階及び原審公判廷を通じて全く記憶が喚起されなかつたなどということは、およそありえないところというべきである上、この点について、若狹は「面談時間の大半は同人が提出した『願』の説明に費やされ、被告人から手交された第二次佐藤案についての説明は全くなく、その場で一応めくつてみただけで、被告人に対して質問もせず、被告人から検討してこれで良いか悪いか言えと言われた記憶もなく、また、事務当局案を手交された記憶もない。」旨証言するのに対し、藤原は、「最初の三〇分位は、若狹が『願』の説明をし、残り一時間ぐらいは、被告人の示した第二次佐藤案及び事務当局案について若狹と被告人の間で意見の交換が行われ、被告人が両案を比較して説明していたと思うが、具体的な内容までは覚えていない。」旨証言し、両者の証言は、重要な点で齟齬していること、
<3>被告人は、この点について、原審においては一切供述していなかつたにもかかわらず、当審においては、「右同日、若狹らに右両案を手交したとの記憶は全くないが、若狹らが被告人から手交された旨証言しているので、手交したものと思われる。」旨供述するにいたつているのであるが、若狹らの当審において証言するように、被告人が昭和四七年五月八日に右両案を若狹らに手交していたとすれば、そのことは原審以来一貫して被告人が「第二次佐藤案は一切外部に渡していない」旨主張供述してきたところと矛盾することになるにもかかわらず、被告人において、この点について何ら合理的な説明をなしえていないこと、
<4>さらに、被告人は、「第二次佐藤案は各界の意見をまとめて整理したメモにすぎないから、もし若狹らに手交したとすれば、書き込み等のない原案を手交したはずであり、前記(甲二134中)のような種々の書き込みのある案を渡したとは思われない。」旨供述しているが右供述は右両案(甲二134中)を被告人から受領したとする若狹らの前記証言とくいちがつているのみならず、当時全日空には町田事務次官から入手した第二次佐藤案(甲二127中)しかなかつたのであれば、同案にはプール制ついての加入文言はない上、三枚目末行が欠落しているのであるから、全日空が昭和四七年五月八日に書き込み等のない第二次佐藤案を被告人から入手した後に、町田事務次官から入手した案にもとづいてこのような書き込みをすることはありえない筈であつて、被告人の右供述は到底信用できないものというべきであるし、事務当局案についても、被告人は、「当時被告人の手元にあつた同案は、町田事務次官から入手した上部欄外に『事務当局案』と記載のあるもののみで、前記(甲二134中)のように上部欄外に右記載のない案はなかつた。」旨供述するのであるが、右供述も若狹らの当審証言と矛盾していることなどに徴し、にわかに措信できないものといわざるをえない。仮に、右主張のとおりであつたとしても、それは、前述のようにそれ以前に全日空が入手していた三通の第二次佐藤案の他に、右主張のような経緯で一たん被告人から受け取り後日被告人秘書に返却したものがあつたことを意味するにすぎず、北御門及び藤原が吉井渥子及び被告人からそれぞれ第二次佐藤案を入手していたことを何ら否定するに足りる事情ではないというべきである。
なお、『第二次佐藤案は被告人の整理用メモにすぎず、外部に公表するつもりのないものであつた』旨の弁護人らの主張もあるが、この主張は、以上述べたところからみても理由がないうえ、原判決が(弁護人の主張に対する判断)の第二の二の1(原判決三二五頁―三二七頁)に適切に説示しているとおりであつて、採用できない。
(c) 若狹らの捜査段階における供述と町田の捜査段階における供述との関係についての論旨
なお、弁護人らは、この点について、『町田に対する昭和五一年九月六日の取調べ(同人の検察官に対する供述調書)で同人から第二次佐藤案が全日空に手渡された事実が明らかにされたのに、藤原は同月四日、若狹は同月六日にそれぞれ保釈されたために、検察官が更に右の事実を右両名から取調べしなかつたためである』とも主張するが、若狹は、同年九月五日付検察官調書において、前記のように、藤原が被告人から第二次佐藤案を手交されたことを再確認するとともに、「全日空から佐藤政務次官にお願いしている件について、その後どのように進展しているか関心をもつていたので、町田になにか資料や情報があつたら知らせてもらいたいと頼んでおいたので、この文書は町田から連絡を受けてもらいに行かせたことがあつたような気がするが、はつきり覚えていない。」と供述しており、藤原も、保釈後の同年九月一四日付検察官調書において、前記のように、被告人から第二次佐藤案を受領した旨明確に供述していることに照らせば、弁護人の右主張が前提において誤つており理由のないものであることは明らかである。
(d) 第二次佐藤案と日航との関係についての論旨
次に弁護人らは、『第二次佐藤案が運輸省事務当局を通じて日航に手交され日航から意見が提出されていることからしても、被告人が日航をつんぼ桟敷において作業を進めたわけではないことは明らかであるのに、原判決が、「日航は、被告人佐藤から第一次佐藤案及び第二次佐藤案に対する意見を徴されたことはなかつた…」と暗に被告人が日航をつんぼ桟敷において、東亜国内航空及び全日空のみの意見にしたがつて作業を進めたかの如く判示したのは事実を誤認したものである』と主張する(控訴趣意書同五頁―五二頁)。
しかしながら、第一次佐藤案については、被告人はこれを東亜国内航空及び全日空に示してこれに対する意見を徴しながら、前述のとおり、日航にはこれを渡しても示してもいないことや、第二次佐藤案についても、前述のとおり、被告人から直接全日空には渡されているのに、日航には渡されておらず、日航は昭和四七年四月末ころ、山本から入手して同年四月二七日その内容を承知した朝田社長が被告人を訪ね論争をしていること、被告人が日航の第二次佐藤案に対する反論(日航案)に格別の配慮を示すことなく、第二次佐藤案をほぼ踏襲した第三次佐藤案を作成していることや、その後第三次佐藤案をめぐつて日航と全日空、東亜国内航空との対立も激しくなり、また、同案について航対委の委員間でも意見が鋭く対立し、松尾に調整を依頼せざるをえなかつた経緯にかんがみれば、被告人が日航をできるかぎりつんぼ桟敷において東亜国内航空、全日空寄りの通達を作成しようとする意図で終始この作業に従事していたことは明らかであり、原判決のこの点に関する判示には、所論のような事実の誤認はなく、右主張は採用できない。
(e) 結語
そして、原審で取調べられた関係各証拠によれば、第一回請託から第二回請託にいたる経緯として原判決の認定しているところは優に肯認できるというべく、また、第二次佐藤案がなお東亜国内航空偏重の傾向がみられ、更には日航からの強い巻き返しも予想されるところから、全日空の利益擁護のためこの段階で改めて被告人に働きかけておく必要があると考え、全日空の多岐にわたる要望を列記した被告人宛ての昭和四七年五月八日付「航空企業の運営体制について(願)」を手交し、「全日空としては、なお、幹線及びローカル線における東亜国内航空の参入については前と同様にお願いしたい。大型機導入時期は四九年度以降としていただき有り難い。しかし日航は、現在もなお沖縄線については本年度からと主張し話合いもまとまらないので、この点についても是非四九年度以降とされるようお願いする。これらのことを文書にしてきたから、ご検討願いたい。」と申し向けて依頼したことは原審で取調べられた関係各証拠により明らかであり、また、若狹の右行為が単なる意見の具申や説明にとどまるものではなく、被告人がその職務権限に基づき通達を作成する場合に全日空のため右書面記載の趣旨を明記されたい旨の依頼にほかならないことは明白であるから請託に当るものであり、原判決に所論のような事実の誤認はない。論旨はすべて理由がない。
(一〇) 第三回請託に関する事実誤認の控訴趣意
所論は、原判決が、「若狹は、第三次佐藤案に関し、幹線増強シエアを同案のような比率で三社に割り当ててもらうのが得策であると考えたが、これについては日航が激しく巻き返しに出てくることが予想されたので、昭和四七年六月下旬ころ、被告人に対し、『国内幹線に東亜国内航空を入れる場合、先日の航対委で示されたようにお願いしたい。』などと依頼して請託した。これに対し被告人は、『それでは東亜国内航空を三、全日空を二、日航を一の割合でやるよう、なお考えよう。』と答えた。」と判示している点について、『日航・東亜国内航空が丹羽運輸大臣に両社間の問題解決を一任するに当たつて付した条件の要望事項に、航空三社の幹線シエアにつき同三九年一一月六日付運輸省通達を基準にしていることを考えれば、幹線増便シエアについて日航が激しく巻き返しに出てくることなど予想されるような状況にはなかつたから、若狹がこのような陳情ないし請託をする必要は全くなかつたのであり、まして、同四七年六月下旬ころは、日航の連続事故や航空三社の運賃値上げで重要な段階を迎えていた時期であつて、このような時期に全日空社長の若狹がさ細なことのために陳情に行くことは考えられないのであり、原判決の右認定は事実を誤認したものである』というのである。
しかしながら、所論の指摘する東亜国内航空代表取締役富永五郎が丹羽運輸大臣あてに提出した昭和四七年二月二五日付書面(弁証四中)の内容は、「懸案の諸問題につき、日航との間で話合いを行つた結果、弊社としては幹線の自主運営のめどが得られるならば、この問題の解決を運輸大臣に一任したいので、別紙弊社の要望をご検討の上適切なご裁定を賜わりたい。」というものであり、同書面添付の要望書に所論のような要望が記載されていることはたしかであるが、右の要望が日航と東亜国内航空との共同の要望ではなく、東亜国内航空単独の要望にすぎないことは、右書面自体からして明らかであり、日航が第三次佐藤案のように航空各社のシエアを大臣通達で固定化する考えに反対であつたことは、第二次佐藤案の内容を承知し同四七年四月二七日被告人と大論争をしたという原審における朝田供述及び同四七年五月八日被告人に手交した日航の意見書、同月二六日開催の航対委における日航朝田社長の意見に徴しても疑いをさしはさむ余地はない。所論は、立論の前提を誤つているものといわざるをえない。そして第二次佐藤案に記載された幹線輸送力増強に関する三つの案は、そのいずれをとつても、日航をおさえ全日空と東亜国内航空の民業二社を優先保護する意図が明白なものであるから、これに対し日航が右案に強く反発するであろうことは若狹も当然予想していたところというべきであつて、若狹の「日航は国内幹線の運用については非常な執念を持つていたから、幹線の民業優先というような問題について反対することは当然であろうと考えていた。日航の猛烈な巻き返しがあり得るだろうと思つていた。」旨の原審証言及び同人の検察官に対する昭和五一年九月六日付供述調書の「ここで示された案(航対委で示された第三次佐藤案)のうち、国内幹線に東亜国内航空が参入する場合の具体策として、三対二対一の比率が守られれば全日空としては好都合だが、日航が猛烈な反対をし巻き返しを図ることを予想したので、その後の推移を聞いたり、とにかくこの比率で実現していただくよう佐藤政務次官にお願いしておきたいと思い、昭和四七年六月下旬ころ私一人で政務次官室に伺い、(原判示のとおり申し述べて依頼した)」旨の供述記載は前述のとおり全日空にとつて幹線シエアの問題が会社経営においてきわめて重要な問題であつたことを併せ考えると、十分に信用できるというべきである(なお、若狹は、原審公判廷においては、被告人に対し第三回請託を行なつたこと自体は否認し、捜査段階におけるこの点に関する右のような供述記載について、「おそらく検事がそういうふうにお考えになつたんじやないかと思う。」などと弁解しているのであるが、同人の捜査段階及び原審公判廷における供述の信用性について前述しているところに加えて、この第三回請託については、これを具体的に裏付ける証拠資料はなかつたのであり、同人が供述しないかぎり検察官において知り得る事情ではなかつたというべきであり、検察官が勝手に想定して記載できる事項ではなかつたことを併せ考えると、右弁解は到底採用できず、やはり同人の捜査段階におけるこの点に関する右供述は自発的になされた、十分な信用性を有する供述と認めざるをえない。)。したがつて、原判決には、所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。
(一一) 大臣通達の評価に関する事実誤認の控訴趣意
所論は、原判決が、「若狹は、被告人佐藤が運輸政務次官として立案に当たつた前記同四七年七月一日付運輸大臣通達において、大型機の国内幹線導入時期が同四九年度以降と明示され、東亜国内航空の国内幹線参入やローカル線のダブル・トラツキングの実施についても全日空に著しい被害が及ぶことのないよう配慮され、更に全日空の近距離国際線運営についても、同四五年一一月二〇日の将来はチヤーター便にとどまらず、近距離国際不定期便の運航をも認める含みをもつた表現が取り入れられている点は、若狹、藤原の同被告人に対する前記請託の趣旨に沿うものとしてこれを評価するとともに、右立案の過程において、成案には至らなかつたものの同被告人が全日空の要望をほぼ全面的に採用した草案を作成するなど、若狹、藤原の前記請託を好意をもつて受け入れてくれたことに感謝の念を抱いていた。」と判示している点について『全日空は本件運輸大臣通達を評価しておらず、また、仮に、原判示のように若狹が三回にわたつて請託したとしても、全日空にとつては右請託は効果がなかつたか無駄になつているのであるから、若狹、藤原が本件運輸大臣通達の内容を評価して被告人に感謝することはなかつた』というのである。
しかしながら、若狹が検察官に対する昭和五一年八月一六日付供述調書において、「佐藤政務次官には、種々お願いし、近距離国際線や、国内ローカル線のダブル・トラツクの件や、特に大型ジエツト機の幹線導入時期などについて、全日空の立場を理解願い、同次官が私のお願いを聞き入れてくれ、運輸大臣通達に盛り込むという形で決着をつけてくれたことは、全日空にとつて極めて有り難いことであつたので、そのお礼をしなければならないと考えていた。」とか、「私は、昭和四七年一〇月末ころか一一月初めころ、丸紅の大久保専務を介して、運輸政務次官であつた佐藤孝行に現金三〇〇万円を差し上げたことがある。全日空は、昭和四七年一〇月三〇日にロツキード社製のトライスターL―一〇一一を採用することを決定したが、その際、採用決定の過程で種々お世話になつたお礼や将来もいろいろお世話になるのでよろしくということからお金を差し上げた。運輸政務次官であつた佐藤に全日空がお願いしたことは、当時一番問題であつた大型ジエツト機を導入する時期を昭和四九年度にしていただきたいこと、東亜国内航空が国内幹線及びローカル線に進出する場合全日空の便数を減便しないようにしてもらいたいこと、更に全日空の近距離国際線を認可してもらいたいことであつた。これらの事項について、佐藤政務次官にお願いし、種々配慮していただいたのである。」と述べ、原審においても、第二次佐藤案について「近距離国際線の範囲、国内線大型機導入時期等について、全日空の要望が容れられ、結構だ、悪くないと思つた。その他の点についても、その程度はやむを得ない、あるいは妥当な線であろうと思つている」と述べ、藤原が検察官に対する昭和五一年八月一六日付供述調書において、「このようにして佐藤がいろいろ草案を作つたりして最終的にできた運輸大臣通達は必ずしも全日空の満足すべきものとは言えなかつたにせよ、四五年一一月二〇日の閣議了解を具体化するにあたつてダブル・トラツクや東亜国内航空の幹線参入により、全日空が受ける被害を最小限度にとどめるものであつただけでなく、大型機の四九年度導入という線が明記され、またチヤーター便の制約が外された点などで、全日空の希望が取り入れられたものであつたし、またこの通達作成の過程で佐藤次官は全日空に好意をもつて全日空の希望や意見を聞いてくださり、それをおおむね全面的に通達の草案に取り入れてくださつたものであり、全日空としては佐藤次官に対してこれらの点で感謝し、有り難く思つたわけである。そしてこのような佐藤次官の考えから見て佐藤次官は将来とも日航と対抗して行かなければならない全日空にとつていろいろ今後とも尽力してくださるであろうし、全日空からも佐藤にいろいろお願いして尽力をしていただこうと考えるようになつたのである。佐藤次官は先程の通達が出た後の七月に田中内閣が発足した際、運輸政務次官を辞めて自民党交通部会長になつた。その後間もなくの四七年一〇月末に全日空ではトライスターの導入を決定したわけであるが、その際一〇月二八日の午後社長は大型機の四九年度導入ということの決定などでお世話になつた佐藤に対しても金を届けるよう私に指示したわけであるが、社長は佐藤が政務次官当時大臣通達の作成のためにその草案を作成した際私どもの陳情やお願いをよく聞いて二回目、三回目の草案におおむね全面的に取り入れていただいたことや、また実際に行われた通達でも全面的に全日空の希望どおりとは言えないまでも、一部大型機導入時期や国際チヤーター便の条件の削除などが認められたことなどから、これらの点に対するお礼の意味や、また当時佐藤が自民党交通部会長とか、衆議院運輸委員などという役職についており、いわゆる航空族議員として力を持ち始めていたので、これからも、全日空のためにいろいろお世話になりたいという意味で佐藤に丸紅を通じて金を贈ろうと考えたものであると思い、私も社長の指示に従つて佐藤に丸紅を通じて三〇〇万円贈つてもらうよう松井に頼んで手配したのである。」と述べ、原審公判廷においても、「我々としては、従来から主張していたものが(通達に)入つたというような感じのものもあれば……」とか、「(通達中に閣議了解にはあつた『日航との提携』の文字がなくなつている点は)、事実上四七年三月ころから無契約状態という実情だが、それが追認されたという意味では我々としてはいいことだと思える。この点は評価できるんじやないかと思う」と述べているところは、原判決が詳細に認定している、被告人が、全日空から大型機の導入時期の点をはじめ近距離国際線の運営等全日空にとつて営業上重大な利害関係のある事項に関し、全日空の希望を通達中に定められたい旨請託を受け、その結果本件運輸大臣通達において大型機の国内幹線導入時期が同四九年度以降と明示され、その他の点についても右通達はある程度右請託の趣旨に沿つた内容のものとなり、また、右通達立案の過程において、成案には至らなかつたものの被告人が全日空の要望をほぼ全面的に採用した草案を作成している経緯にかんがみ、いずれも信用できるものというべきであり、これに反し、所論に沿う、若狹および藤原のこの点に関する、捜査段階における各供述と相反する原審証言部分は、これらの経緯や同人らの原審証言の信用性について前述したところにかんがみ到底信用できないものというべきである。
以下、弁護人らの個々の各主張について当裁判所の判断を示す。
(a) 国内線大型機導入問題についての論旨
まず、弁護人らは、『国内線大型機導入問題について、国内幹線の大型機導入時期を昭和四九年度以降とすることは事務当局の既定方針であつたから、若狹らがその旨明記した本件運輸大臣通達を評価するはずがない』と主張する。
しかしながら、昭和四六年二月の行政指導により日航が昭和四七年度からの国内線への大型機導入の基本方針を強行することは断念したものの、なお同四八年度にB―七四七三機を国内線に転用する旨の計画を立て、あるいは、同四七年正月に全日空の了解を得ないで福岡―東京路線に大型機の臨時便を就航させ、また、全日空に対し同四八年度から大型機を国内線に導入する旨の提案を行い、同四七年五月一五日の国内線となる沖縄線に同年四月一五日から大型機を就航させたい旨の事業計画変更申請を同年三月三一日付で運輸大臣に対して行うなど大型機の国内線早期導入を図るべく行動していたところから、若狹がこれを阻止するため、被告人に大型機の導入時期を同四九年度以降とするよう本件運輸大臣通達に明記してくれるよう被告人に請託をくりかえし、その結果、本件運輸大臣通達にその旨記載されるにいたつたことは前判示のとおりであつて、こうした事情にかんがみれば、若狹の検察官に対する昭和五一年八月一六日付供述調書における「国内幹線への大型ジエツト機の導入問題について、同四九年度以降これを認めるものとされたことは、佐藤次官が私のお願いを聞き入れて運輸大臣通達に盛り込むというかたちで決着をつけて下さつたもので、全日空にとつて極めてありがたいことであつた。」旨の供述や藤原の検察官に対する同年同月同日付供述調書における「運輸大臣通達に大型機の四九年度導入という線が明記されたことは、全日空の希望が取り入れられたものであり、全日空としては佐藤次官に対して感謝し、有り難く思つていた。」旨の供述は十分に信用できるものというべきであり(このことは、原審公判廷において、他方でこの捜査段階の供述を否定しこれと相反する証言をくりかえしながらも、若狹が、「従来、日航は四九年と言いながらも、できれば少しでも早く入れたいんだという意思を持つていたから、そういう点が明確になつたということは一歩前進である。」と述べ、藤原が、第二次佐藤案について、「近距離国際線の範囲、国内線大型機導入時期等について全日空の要望が容れられ、結構だ、悪くないと思つた。その他の点についても、その程度はやむを得ない、あるいは妥当な線であろうと思つている」と述べるなど、捜査段階におけるこの点の供述を基本的には維持する証言をしていることによつても、十分に裏付けられているところといわなければならない。)、これらの供述に依拠した原判決に所論のような事実の誤認はないといわなければならない。なお、弁護人らの、本件運輸大臣通達に大型機の同四七年度沖縄線導入が付加された点からしても、全日空にとつて感謝できるものではなかつたとの主張について付言すると、沖縄線について同四七年度から大型機が導入されたのは、当時沖縄線については旅客需要の急増により早期に大型機の導入にふみきらざるをえない客観情勢と、日航が事故の影響でDC―八が不足しB―七四七を沖縄線に使用せざるをえない情況が背景にあり、そのため被告人としては、沖縄線についても同四九年度から大型機を導入することとする旨の従来の主張を貫徹しえなくなつたことによるものであり、しかも、本件運輸大臣通達において、「投入の時期、便数等については、企業間において協議の上決定する。」旨の、全日空にとつてきわめて有利な条項が被告人の強硬な申出により付加され(内村、山本の原審各証言により明らかである。)、その結果、全日空は、同四七年七月の日航と沖縄線大型機就航に関する協議において、右条項を盾に、同四八年度末まで東京―沖縄線の大型機就航を一日一便に限り同意し、日航の希望する福岡―沖縄線の大型機就航には同意せず、また、同四八年度末までは日航の大型機の増便要求は一切認めないと主張したため、日航は、東京―沖縄線にB―七四七LRを一日一便しか就航させることができなかつたことを併せ考えると、全日空がこの点についても被告人に感謝の念を抱く理由のあつたことは明らかであり、弁護人らのこの点の主張も排斥を免れない。
(b) 近距離国際線問題についての論旨
弁護人らは、近距離国際線問題について、『<1>本件運輸大臣通達の「近距離国際チヤーター」よりも、第一次佐藤案の「近距離国際不定期」の方が全日空にとつて有利であるから、本件運輸大臣通達は、若狹の請託にもかかわらず、第一次佐藤案のそれよりも後退したのであつて、若狹が感謝した筈がない、<2>国際定期便進出を目指している全日空にとつて、不定期便という新たな段階を設定されることはむしろ不利益であり、全日空がこの点を評価することはありえない、』と主張する。
しかしながら、前述のように、第一次ないし第三次佐藤案における「近距離国際不定期」という表現は、被告人が全日空の依頼により取り入れたものであるところ、右表現が本件閣議了解に抵触するところから、松尾調整案においては、これを「近距離国際チヤーター」と改められたこと、これに対し被告人が同四七年六月末ころ「松尾調整案」について町田と協議した際、「全日空はチヤーターのみでなく将来不定期航空も考えられるとせよ。」と主張したため、町田がやむなく「なお、将来不定期航空の運営についても検討するものとする。」との文言を付加する旨の修正を加え、これを内村、山本に示したところ、同人らは右の修正は右閣議了解の逸脱となるおそれがあるとして反対し、同年七月一日被告人に対し、「松尾調整案」に対する町田の右修正案を示し、「右修正文言は右閣議了解の具体化として明示するのは不適当であるから削除したい。」旨具申したが、被告人は、将来全日空に近距離国際不定期便の運営を認める含みを残すため、あくまで「不定期」の文言に拘泥し、対案として「なお、近距離国際線の運営には、チヤーター方式のほか不定期航空としての運営方式もあるが、現時点においてはチヤーター方式による。」との表現とすることを提案したので、内村らは、右提案を受けざるを得ないと判断し、右のような全日空寄りの修正を加えた上で、これを運輸大臣通達の成案としたことは、原審で取調べられた関係各証拠によつて明らかであり、本件運輸大臣通達の右記載は、本件閣議了解の「近距離国際チヤーター」との文言に比べ、全日空が希望する近距離国際不定期便の運航をも将来認める含みをもつた表現となつている点において全日空に有利なものであつたこと、加えて、本件運輸大臣通達においては、全日空の近距離国際線のチヤーター便の運営につき、本件閣議了解における「日航との提携」、「余裕機材の活用」の制約文言が削除されており、このことも全日空が希望していたところであつたことを併せ考えると、若狹、藤原において、近距離国際線についての本件運輸大臣通達の右記載を請託に沿うものとして高く評価し、被告人に感謝していたことは疑いを容れないところというべきである。
したがつて、若狹や藤原が検察官に対する右各供述調書において、「全日空の近距離国際線の運営に関して、将来国際定期便へ移行する手段の一つとしての不定期運航への進出する含みを持つた表現が取り入れられたことは、佐藤次官が私のお願いを聞き入れて運輸大臣通達に盛り込むというかたちで決着をつけて下さつたもので、全日空にとつて極めて有り難いことであつた。」、「近距離国際線の運営について、将来は不定期航空をも認めるという含みを残してくれ、また、日航との提携などの条件を取りはずしてくれたことは、全日空の希望が取り入れられたものであり、全日空としては佐藤次官に対して感謝し、有り難く思つていた。」などと述べ、原審公判廷においても、藤原が、本件運輸大臣通達において、本件閣議了解中の日航との提携云々の記載がなくなつている点について、「我々としてはいいことだと評価できる。」旨証言するところは十分に信用できるというべきであり、原判決がこの点について判示するところは優に肯認できるといわなければならない。弁護人の右主張は採用できない。
次に、右の<2>の主張についていえば、当時全日空が国際線の定期便に進出することを最終的な悲願としていたことは所論指摘のとおりであるけれども、「チヤーター便」が、その性質上特定の団体の運行に供されるものであることから、空席のまま迎えに行くというように効率の悪い運航を余儀なくされるのに対し、「不定期便」は、団体客と同時に不特定多数の一般客を輸送することが可能で、効率の高い運行の実施が見込まれるものであるうえ、路線の需要いかんによつては将来定期便に移行する可能性を有していることからして、定期便進出の足がかりとなりうるものであり、このような観点から現に全日空が当時とりあえずチヤーターではないところの狭義の国際不定期便に進出することを切望していたことは原審で取調べられた関係各証拠によつて明らかであるから、弁護人の右主張もまた理由がないといわなければならない。
(c) ダブル・トラツキングについての論旨
弁護人らは、『ローカル線のダブル・トラツキングについて、第一次佐藤案における「輸送需要の多い路線から逐次実施する」との記載は、抽象的な表現であるだけに現状維持の方向、すなわちダブル・トラツキングを進めない方向に機能するから、全日空にとつて比較的有利なものというべきであつたのに、本件運輸大臣通達における「昭和四八年度以降同五一年度までの間、毎年二路線の範囲で実施する」旨の記載は、東亜国内航空が年間一、二路線のダブル・トラツキングの実施を望んでいたことに照らすと、第一次佐藤案に比べて東亜国内航空により有利に、全日空により不利になつているのであり、この点からしても、全日空が本件運輸大臣通達を評価し被告人に感謝するということはありえないところである』と主張する。
しかしながら、ダブル・トラツキングについては、すでに本件閣議了解において、「航空輸送需要の多いローカル線については、原則として同一路線を二社(すなわち全日空と東亜国内航空)で運営する。」とされており、これを受けて運輸省事務当局が全日空に対しダブル・トラツキングの実施について東亜国内航空と協議するよう行政指導をしていた当時の状況の下においては、全日空としても現状のままいつまでも棚上げにしておける問題ではなかつたことは明らかであるから、第一次佐藤案が第二次佐藤案よりも全日空にとつて有利なものであつたとは直ちにいえないし(なお、第一次佐藤案は、被告人の指示により運輸省事務当局が作成したものであるが、そもそも、窪田の働きかけにもとづき、とくに東亜国内航空寄りの線で本件閣議了解を具体化した通達案をまとめよとの被告人の指示には、内村ら航空局幹部が強い難色、抵抗を示していたことは原判示のとおりであり、事務当局は被告人に押しきられてやむなく第一次佐藤案を作成したのであるから、右案においてローカル線のダブル・トラツキング等についての記載が抽象的な表現にとどめられていたのは、被告人の意図によるものではなく、被告人の右のような意図に対する事務当局の反対、抵抗を反映した、なるべく微温的なものにしたいとの方針により右案が作成されたことによるのであり、所論が第一次佐藤案のこの点に関する表現が被告人の意向によるものであることを前提とするものであるとすれば、その前提を欠くといわなければならない。)、前述のように、全日空が乗り入れるメリツトがある東亜国内航空の路線は一、二路線しかなく、東亜国内航空が全日空の路線を一方的に乗り入れることを主張していた(窪田の原審証言により明らかである。)状況の下にあつては、本件運輸大臣通達のこの点の記載が、第一次佐藤案に対する全日空の「ローカル線の二社運営につき『過当競争の弊が生ずることのないよう十分慎重を期し』との文言を付加する」との修正意見書、若狹の第一回請託における「ローカル線のダブル・トラツキングについては、全日空の運営している路線に東亜国内航空の参入を認めるだけでなく、全日空にも東亜国内航空が運営している同等の路線に参入することを認める相互平等主義に則つて実施し、当該路線の利用率が一定水準、例えば七〇パーセントに達しないうちは認めない」こととされたい旨の要請、「ローカル線のダブル・トラツキングの実施に当たつては慎重を期し、また、これを実施する場合は平等に相互乗入れを行うこと」との全日空が被告人に提出した同四七年五月八日付「航空企業の運営体制について(願)」の記載にもとづく若狹らの第二回請託等を受けて、東亜国内航空の権益拡張を図りつつも全日空に著しい被害の及ぶことのないよう全日空の利益をも擁護し枠をはめたものであつたことは明らかであるというべきであるから、これらの事情に徴すれば、若狹及び藤原が右各供述調書において、「ダブル・トラツクについて、同四八年度以降五一年度までの間毎年二路線の範囲内で行うという枠がはめられたことは、佐藤次官が私のお願いを聞き入れて運輸大臣通達に盛り込むというかたちで決着をつけて下さつたもので、全日空にとつて極めて有り難いことであつた。」とか「ダブル・トラツクについても急激に行うことをせず、一年二路線程度に押さえて、全日空が受ける被害を最小限度にとどめてくれたことは、全日空の希望が取り入れられたものであり、全日空としては佐藤次官に対して感謝し、有り難く思つていた。」とか供述しているところは高度の信用性を有するといわなければならず、弁護人の右主張は採用できない。
(d) 東亜国内航空幹線参入問題についての論旨
弁護人らは、『東亜国内航空の幹線参入問題についても、本件運輸大臣通達において「東亜国内航空については、同四七年度において一部ローカル路線のジエツト機による運航を認め、同四九年度をめどとして実働三機程度の国内幹線のジエツト機による自主運航を認める。」とされていることは、全日空として評価し、あるいは被告人に対し感謝の念を抱くべきものは何もない』と主張する。
しかしながら、本件運輸大臣通達のこの点の記載も、第一次佐藤案に対する全日空の「東亜国内航空の幹線参入につき、『日航のシエアの段階的縮小において実施する』旨の文言を付加する」との修正意見書、若狹の第一回請託における「当分の間東亜国内航空の幹線参入を認めず、かりにこれを認めることとなつた場合は日航のシエアの縮小によつて行う」こととされたい旨の要請、「東亜国内航空の幹線参入は日航の段階的縮小において実施し……」との全日空が被告人に提出した同四七年五月八日付「航空企業の運営体制について(願)」にもとづく若狹の第二回請託、「国内幹線に東亜国内航空を入れる場合、先日の航対委で示されたようにお願いしたい。」との若狹の第三回請託をふまえ、東亜国内航空の権益拡張を図りつつも全日空に著しい被害が及ぶことのないよう配慮したものであることは原認定の通りであり、これらの事情にかんがみれば、藤原が検察官に対する前記供述調書において、前述のように、この点についても全日空としては被告人に感謝していた旨供述するところは十分な信用性を有するといわなければならず、弁護人の右主張は採用できない。
(e) 幹線増便基準についての論旨
なお、幹線の増便基準について付言すると、前述のように、第二次佐藤案及び第三次佐藤案における増強(便)基準は、全日空の請託を取り入れたもので同社にとつて有利なものであつたが、右案は日航の犠牲において全日空及び東亜国内航空を優先するものであつたため、同四七年五月二二日の航対委において、日航がこれに反対したことから、松尾調整案においては、各社の増強(便)基準について具体的基準を定めることなく抽象的に記載するにとどめることとされ、その結果、本件運輸大臣通達には「国内幹線における輸送増強の各社の割り振りは共存共栄の基本原則にのつとり、後発企業の育成を勘案しつつ、各社協議して決定する。」と記載されるに至つたのであるが、右経緯に徴すると、若狹は、幹線増便基準については成案には至らなかつたものの、被告人が全日空の請託を配慮し尽力してくれたことを知悉し、これに感謝の念を抱いていたことを十分に窺い得るのであつて、この点についても、原判決の認定するところは正当といわなければならい。
(f) 大臣通達が全日空にとつて有利なものではないとする論旨
弁護人らは、『大臣通達の内容は、昭和四七年七月五日の全日空常務会における若狹発言からしても明らかなように、東亜国内航空の受けるメリツトが最も大であり、全日空としては決して喜びうるものではなかつたのであり、しかも第一次佐藤案から大臣通達までの過程で作成された各案の内容をつぶさに検討すれば、後のものほど全日空にとつて不利なものとなつており、仮に若狹が原判決の認定するように三回にわたり被告人に請託したとすれば、請託すればするほど全日空にとつて不利な内容になつていたという奇妙なことになるのであり、こうした点からすれば、若狹らが大臣通達を評価し、被告人に感謝したということはありえず、原判決はこの点で証拠の評価を誤つたものである』と主張する。
たしかに所論は、本件運輸大臣通達によつて東亜国内航空もかなり大きな利益を受けており、また、右通達が全日空にとつて一〇〇パーセント満足できるものではなかつたことを指摘する限度では正当というべきであるが、右通達が全日空にとつて何のメリツトもないものであつたとか、請託をすればするほど次第に全日空にとつて不利な内容のものとなつていつたなどとする点にいたつては、全く理由のない主張であることは前述したところからして明らかであるといわなければならない。第一次佐藤案、第二次佐藤案、第三次佐藤案、本件運輸大臣通達の各内容をつぶさに比較、検討すれば、第一次佐藤案は原判示のような経緯で作成されたものであるため、事務当局の消極的姿勢を反映した、きわめて抽象的な内容となつているのに対し、第二次佐藤案及び第三次佐藤案は東亜国内航空や全日空の強い働きかけを濃厚に反映した、日航の犠牲において、東亜国内航空や全日空の権益の拡張を図るものとなつているのであり、原判示のような紆余曲折を経て最終的に成案となつた本件運輸大臣通達は事務当局の抵抗や日航の巻き返しを反映して全日空からみれば第二次佐藤案や第三次佐藤案に比べて後退した内容となつているけれども、第一次佐藤案に比べればなおはるかに全日空にとつて有利な内容となつていることは、これらの内容自体からして明らかであつて、所論のように後の案になればなるほど漸次全日空にとつて不利なものとなつていつたという状況ではないのである。また、被告人がこの作業の過程において終始全日空の利権を擁護し拡張しようとして行動していたことは、第二次佐藤案及び第三次佐藤案の内容や、被告人が右作業の最終段階においても松尾調整案の内容について強く反対し、あくまでも「不定期」という表現を残すよう主張し、「なお、近距離国際線の運営には、チヤーター方式のほか不定期航空としての運営方式もあるが、現時点においてはチヤーター方式による。」との、全日空について将来は狭義の不定期便への進出を認めるような表現に変更させていること、沖縄線についても日航に昭和四七年度から大型機導入を認める点についても、全日空との協議を要するとすべきであると強硬に主張し、松尾調整案に「投入の時期、便数等については企業間において協議のうえ決定する。」との文言を付加させていることによつても明らかであり、このことは若狹らの請託、働きかけに配慮を示しているものといえるものであり、若狹らの請託が何の効果もなかつたとか、逆効果であつたなどとする所論が到底採るをえないものであることは明らかである。したがつて、右各主張は、いずれもその前提を欠き採用できない。
(g) 被告人と事務当局との対立についての論旨
次に、弁護人らは、『本件閣議了解具体化作業において、事務当局と被告人とが対立していたのは全日空の扱いをめぐつてではなく、東亜国内航空の扱いをめぐつてであつたのである、すなわち、被告人は当時の自民党航対委の意向をふまえて、清算金問題を円満に解決するためには、まず東亜国内航空を立て直し、体力をつけさせるのが先決であり、そのためには、同社のジエツト化、幹線参入、ローカル線のダブル・トラツキングなどを含めて国内航空行政全般をどうしたらよいかという観点から検討しようとしていたのに対し、事務当局は、被告人が進めていた右作業について、東亜国内航空に対する悪感情も手伝い、同社の利権を拡張することになることに強く反対していたのであり、したがつて、このような経緯により作成された運輸大臣通達を全日空が高く評価し、この間の被告人の言動に全日空が感謝するなどということはありえない』と主張する。
たしかに、本件閣議了解具体化作業に着手した当初の被告人が東亜国内航空の権益を拡張することを主なるねらいとしていたものであり、事務当局の被告人に対する強い反撥が被告人のこうした東亜国内航空のための後発企業のてこ入れの態度に向けられていたことは、住田の前記証言や、橋本(昌)の「佐藤政務次官は当面の案を最初の段階から見てみますと、最初の段階は、東亜国内航空の意見がかなり政務次官の耳にはいつているんじやないかという印象をもつておりまして、同じ民間航空の中でも、全日空の考え方がそんなに、東亜国内航空と比べますと、色濃くはいつているとは、思つてなかつたからです。」との原審証言、内村の第二次佐藤案中の幹線増便基準についての「これは三案に分かれておりますけれどもちよつと、いずれも過激すぎるという気持を持つておりました。」、「つまり東亜に厚過ぎるという考え方です。」、「つまりこの案をして四七年度以降の需要が増加する、その増加需要をどういうふうに各社で分担するかというと東亜国内が最も多く分担するのであると、で、その次が全日空が分担するのであると、で、日航はある程度待つんであると、大まかに言うとそういう案になつておるわけです。したがいましてそこまでいくのはいささか行過ぎではないかということであります。つまり東亜国内というのは今までローカルだけやつていた会社であるわけです。それでローカルだけやつていた会社でまだ幹線運営能力もあんまりない、それから日航はまあ全日空も共に幹線主体でありますけれども、財政基盤の確立という意味からある程度先発企業を押えて後発企業を育成するということもこれは行政としては当然考えられることでありますけれども、その程度においてここに書いてありますような例えば第三案をみますと、これは一番ゆるい案でありますけれども、四七年度及び四八年度に限り幹線輸送力の増強は全日本空輸二、日航一の比率とし、昭和四九年度以降は東亜国内三、全日本空輸二、日航一の比率で昭和五二年度までその増加を認めるものとする、昭和五三年度以降は三社協議で決定するということでありますから昭和四七年度から八、九、一〇、一一、一二と五年間というものは日航は非常に押え、押えていかなきやならんと、需要増のとり方があまりとれないとそれに対して後発企業とはいいながら東亜は非常にシエアを多くとり過ぎるとこのへんにむしろ不公平があるんではないかというのが私どもの考えだつたわけです。」との原審各証言、及び若狹の検察官に対する昭和五一年八月一六日付供述調書中の「また、私はそのころ、佐藤政務次官は、後発企業優先という考え方を持つて、後発企業である東亜国内航空を有利に取り扱おうとしているとのうわさを耳にしていたので、そのようなお考えで通達案を作られたのでは、全日空の業績面に大きなマイナスになると心配したので、佐藤政務次官に直接お会いして、全日空の立場を御説明し、全日空の不利益にならないようお願いしなければならないと考えたのです。」との供述記載などからしても明らかである。しかしながら、このことが全日空において、被告人に対し陳情、請託をする必要性がなかつたとか、全日空において被告人に対し陳情、請託をしなかつたとか、被告人が全日空のためには何らの尽力もしなかつたことを意味するものではないこともいうまでもない。全日空としては、東亜国内航空の幹線参入問題及びローカル線のダブル・トラツキング問題については、前述のように東亜国内航空と利害が対立する立場にあつたのに対し、国際線進出問題や大型機国内幹線導入問題については前述のように東亜国内航空と利害を共通にし日本航空と利害が対立する立場にあつたのであるから、前者については被告人が東亜国内航空のため急激な権益拡張を図ることにより自社が著しい不利益を蒙ることのないようチエツク、牽制するため被告人に働きかける必要があつたのであり、後者については、本件閣議了解具体化作業に便乗して、本件閣議了解の自社に対する国際線チヤーターに対する前述のような制約を空文化させるとともに、将来における国際線定期便への進出の足がかりとして狭義の不定期便にも進出できるようにし、あわせて日航の国内幹線大型機導入をできるかぎり遅らせるよう被告人に働きかける必要があつたことは前述のとおりである。つまり、全日空としては、前者については防禦的立場から、後者については攻撃的立場から被告人に対し働きかける必要があつたのであり、全日空の前述のような被告人に対する働きかけは、このような二面性を有していたのである。したがつて、被告人の当初の意図が専ら東亜国内航空を念頭におき、同社の権益を拡張するにあつたことは、全日空において被告人に対して働きかける必要性を増大させるものでこそあれ、右の必要性をいささかも減殺するものではないのである。そして、若狹らが被告人に対し請託をくりかえし、右請託が奏効したことは前述のとおりであるから、弁護人らの右主張も採用できない。
以上の説示から明らかなように、弁護人らのその余の主張につき按ずるまでもなく、原判決のこの点に関する認定には所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。
(一二) 本件金員の支払主体に関する事実誤認の控訴趣意
所論は、これを要するに、『若狹らは、丸紅がL―一〇一一の売込み成功を祝して政治家等にも御披露目の挨拶をすることが予定されていたところ、丸紅の右挨拶先に、全日空の考える被告人らの挨拶先が含まれている場合には、被告人らに「全日空からもよろしく」と申し添えて貰いたい旨を丸紅側に伝えたにすぎないのに、本件金員供与の主体を全日空と認定した原判決には事実誤認がある』というのである。
たしかに本件金員は全日空自体の出捐にかかるものではなく、ロツキード社の負担において丸紅関係者の手で被告人に交付されているものであるけれども、原審で取調べられた関係各証拠によれば、被告人を含む六名の政治家に対する本件金員交付の話は若狹の発意にかかるものであり、若狹がいわば他人のふんどしで相撲をとる形でロツキード社あるいは丸紅の負担において丸紅の手で全日空のお礼として渡すよう藤原に指示していること、これを受けて藤原が、丸紅としてどのような政治家にしかるべき挨拶をする予定であるかをあらかじめ問うことなく、丸紅の松井に若狹の意向をそのまま伝えて右六名の供与先と供与額とを示し、供与額については丸紅側と相談し、その額をある程度丸紅の裁量に委ねる含みを残しながらも、右六名には丸紅の意向にかかわりなく必ず金を届けるよう、しかも全日空からの金であることを右六名の者に明示して渡してほしい旨依頼していること、松井、大久保、伊藤、副島ら丸紅関係者においても、この全日空の意向を取りちがえて丸紅が主体となつて右六名に金を渡す趣旨に誤解してはおらず、あくまでも全日空のメツセンジヤーとして渡す金であることを明確に認識しており、同人らが何故全日空のためにこのようなことで手を汚さなくてはならないのかという強い抵抗感、不快感を抱いていたこと、及び副島においても、後記認定のとおり、全日空からの金であることを明示して本件金員を被告人に手交していることは明らかに認められ(弁護人らは、若狹、藤原においては、丸紅を支払主体として右六名に金を出させる意図であつたのに、藤原→松井、松井→大久保、大久保→コーチヤン、大久保→副島、副島→伊藤、大久保→伊藤という伝達のいずれかの過程において、全日空を支払主体とする話のように誤つて受けとられ、最終的に副島において全日空が支払主体であるかのように認識し行動したものであるとも主張するが、若狹、藤原らの意向自体全日空を支払主体として被告人らに金を渡すというものであることは、前述のとおりであつて、右主張はその前提を欠くものといわざるをえず、採用できない。)、これらの事実にかんがみれば、本件金員の供与主体が全日空に他ならないことは明らかであつて疑いを容れないところといわなければならない。
また、弁護人らは、大久保の「昭和四七年一〇月二九日夜、電話で松井から『今藤原と会つている。藤原は明日L―一〇一一を決定したいと思つているが、それに先立つて全日空がこの件でお世話になつている方々にお礼をしたい、それを全日空からということを明示して丸紅側で渡して欲しいと言つている。』と聞いた。」との証言を原判決があげ、「これによれば藤原は松井に対し右と同趣旨のことを話したものと推認される」としている点に関し、『松井が大久保をして丸紅が配布する御祝儀の資金をコーチヤンから引き出させるため、大久保に対し全日空が大型機導入について世話になつた方々へお礼をする必要があると言つたものであるにすぎない。』とも主張するが、右主張は本件金員の支払主体が丸紅であることを前提とするものであり、すでに述べたように本件金員の支払主体は丸紅ではなく全日空なのであるから、右主張は、その前提を欠き失当というべきである。論旨はすべて理由がない。
(一三) 本件金員収受に関する事実誤認の控訴趣意
所論は、『被告人は若狹及び藤原から副島を介して現金二〇〇万円を受領した旨原判決は認定しているけれども、被告人は副島と会つたこともなく、いわんや同人から現金二〇〇万円を受領したことはなく、原判決は事実を誤認している』というのであるが、原判決挙示の関係証拠によれば、右の原判決の認定はこれを肯認することができる。
弁護人らは、『被告人は昭和四七年一〇月三一日午後零時四五分羽田発全日空八七一便で函館に行き、函館市民会館で当日開催された「昭和会ヤングの集いと森進一シヨー」に臨んだのであるから、当日副島には会つている筈はないのに、原判決は、被告人が当日右八七一便ではなく午後五時羽田発全日空八七九便で函館に行つたと認定しているのは事実を誤認したものである』とも主張する。
しかしながら、被告人の右アリバイ主張は、原判決が詳細に説示しているように、採用できないものであり、原判決の右説示するところはこれを是認す((なお、原判決三七七頁中西川菊三郎(甲三39)石川恵子(同40)はいずれも(甲四39)(甲四40)の誤記と認められる。))ることができる。なお、弁護人らは、<1>原判決が「副島は、同四七年一〇月三〇日に翌三一日の被告人との前記面会予約を取り付けた。」旨認定した点について、右三〇日の時点においては、「昭和会ヤングの集い日程表」(符号略、以下「日程表」という。)、「昭和四七年衆議院手帳」(符号略、以下「四七年手帳」という。)、「'、この点からしても被告人が昼の便で函館に赴いていることは明らかである、<4>原判決が、同日午前一一時四五分ころ森岡が第二議員会館三三九号室で被告人と面談したことを認定した証拠である、同人の同五一年八月二二日付検察官調書には、「昭和四七年一〇月三一日午後九時ころから、四谷で所用を済ませ、被告人が森岡の妻の手術を心配してくれたことへのお礼を述べたい等と考え、被告人と面会するため午前一一時ころ議員会館の被告人事務所へ電話したところ、吉井秘書が先生は昼近くならあくと言つたので面会時間を予約した上、一〇分位前に議員会館に行き面会証を書いて右事務所へ赴いたところ、被告人に先客があつたので吉井秘書と入口に近い部屋で若干話をしてから、奥の部屋で被告人と会い、妻の病状等について一〇分か一五分位話して帰つた」旨の記載があるが、当日、吉井は自宅から羽田空港に直行し、昼の便で函館に赴いていることからすれば、右調書記載のように森岡と議員会館の被告人の部屋で話をすること等はあり得ず、森岡の右供述記載は信用性がない、<5>当日の議員登院表示板にもとづくと登院していないのであるから午前の行動と併せると昼の便で来函したことは明らかであるなどと主張するので、これらの主張について付言すると、まず、<1>の主張についていえば、被告人は、昭和五一年八月検事の取調べをうけた当時、「昭和五一年衆議院手帳」中の「31日(火)12時45分東京発―1時55分函館着森信一シヨウ」という記載を援用して、当日午後零時四五分羽田発、同一時五五分函館着の便で函館に行つた旨主張し、右手帳に記載された時刻は逮捕される約二週間前に日程表などを調べて書いたものであると供述していたのであるが、検察官から昭和四七年一〇月当時全日空羽田発函館行の昼の便は、函館到着午後二時五分であり、午後一時五五分函館着の便はなく、したがつて、右手帳の記載が昭和四七年当時の日程表にしたがつて記載したものではないことが指摘されるや、その後午後二時五分函館着とメモ書きのある日程表と「12:45→函館」という記載のある四七年手帳を提出したものであるが、被告人の供述どおり、五一年手帳の前記記載が日程表から転記したものであるならば、日程表に午後二時五分函館着と記載されている筈はなく、しかも、被告人が、原審公判の最終段階にいたつてはじめて日程表及び四七年手帳を提出するにいたつた経緯について、「日程表及び四七年手帳は、逮捕される一週間か一〇日前に、(検察庁に)押収されると次の選挙ができなくなるので、命の次に大事にしている有権者名簿などと一緒にダンボール箱に入れて議員会館の隣室の議員に預けた。その後、同五一年の衆議院選挙で落選したため、国会へ行く機会がなく、翌五二年夏か秋になつて右ダンボール箱の返還を受け、自宅の応接間に置いていた。」と説明しているのであるが、自己のアリバイを証する大切な証拠であるならば捜査中取寄せてでも自己の潔白を示すべき性格のものを昭和五二年まで返戻を受けなかつた点甚だ不自然不合理な説明という他はない。これらの事情にかんがみれば、四七年手帳及び日程表の右各記載は後に被告人がアリバイ工作のために記入したものである疑が濃厚で証拠としての価値のないものであり、副島が三一日の被告人との面会のため三〇日に予約をとつた旨の原認定をゆるがすに足るものではない。また、<2>の主張も、各面会証控により当日午後一〇時五五分から一一時四五分までの間にあらかじめなされたアポイントメントにしたがつて来訪し、議員会館において被告人と面会していることが明らかな阿波、大澤、森岡についても、右ダイアリーに面会予約の記載がなく、また、大澤は当日以外にも同年七月二〇日から同一一月七日までの間に一一回にわたり面会予約の上議員会館に被告人を訪問していることが関係証拠上疑いを容れないところであるのに、右ダイアリーには面会予約の記載がない場合が多いことにかんがみれば、面会予約について必ず右ダイアリーに記載されていたわけではないことは明らかであり、弁護人らの右主張もまた排斥を免れない。<3>の主張についていえば、吉井が当日何時に函館に着いているかは明らかではないが、当時の全日空東京空港支店長室にお昼頃立寄り支店長河瀬士郎にあいさつしていることからすると同人が八七一便で函館に赴いた公算は大きいが、吉井とおち合う場所にした右支店長室で支店長にあいさつしたと被告人は供述するが、支店長河瀬士郎は被告人については記憶していないというのであるから、被告人が吉井と右支店長室でおち合い同じ便で函館に行つた旨の供述は措信できず、吉井が函館国際ホテルにチエツクインした時間が午後三時五六分であるということは、被告人が八七九便で函館に赴いたとする原判決の認定を覆えすに足りるものではない。<4>の主張についていえば、前述のとおり吉井が八七一便で函館に行つているとしても、吉井と雑談していた旨の森岡の供述記載は、同人がしばしば議員会館の被告人事務所を訪問していることにかんがみれば、別の機会の出来事と混同しているものと理解されるのであるから、同人の右供述記載全体の信用性を害なうものではないといわなければならない。同人の右供述記載は、被告人と当日面談した目的や面談状況について具体的詳細なものであるうえ、実際の体験にもとづく供述のみが持つヴイヴイツドな描写性を備えていることや、同人と被告人とのじつ懇な関係に照らして同人がことさら事実を歪曲して被告人に不利益な供述をするということはおよそありえないことなどにかんがみ、それ自体として信用性を十分に肯定しうるものであるのみならず、同人の右供述記載は面会証控によつても裏付けられているのであるから、その信用性に疑いをさしはさむ余地は毫もなく、これに反する被告人の原審における供述は措信しえない。<5>にいう議員登院表示板が欠席となつていることは、登院しなかつたことを意味するにすぎず、議員会館の被告人事務室に行つていないことの証拠として直接役立つものではない。
被告人が、当日議員会館三階三三九号室で副島と会い、同人から現金二〇〇万円を受領していることは、原判決が適切に説示しているように、原審で取調べられた関係各証拠により優にこれを肯認することができ、原判決には所論のような事実の誤認はない。論旨は理由がない。
(一四) 本件金員の賄賂性及び被告人の賄賂性の認識に関する事実誤認の控訴趣意(控訴趣意第一部第一二点)
(a) 本件金員の賄賂性及び被告人の賄賂性の認識についての論旨
所論は、『本件金員は請託に関する謝礼ではなく、当時被告人が自民党政調会交通部会長であつたことから、トライスター導入の御披露目と将来全日空が好意ある取扱いを得たいとする趣旨で交付されたものにすぎない、少なくとも被告人には本件金員を受領した際賄賂性の認識、すなわち本件金員が請託に対する謝礼、あるいは請託に見合う職務行為に対する謝礼であることの認識はなかつた』というのである。
しかしながら、被告人は、前判示のとおり、昭和四七年七月一日に示達された運輸大臣通達作成の過程で三回にわたり若狹らから請託を受け、運輸省事務当局の反対を押し切り右請託の趣旨に沿つた通達案を自ら作成するなど単に東亜国内航空のためだけではなく全日空のためにも尽力しているのであり、とくに大型機国内線導入時期の問題や全日空の近距離国際線進出の問題については日航の不利益において全日空の利益が図られており、ローカル線のダブル・トラツキングの問題や東亜国内航空の幹線参入問題についても東亜国内航空の利益を図りながらもこれにより全日空に著しい被害が及ぶことのないよう配慮されていたのであつて、その結果作成された右通達は、原判示のように、日航の巻き返しや運輸省事務当局の抵抗もあり、必ずしも全日空にとつて一〇〇パーセント満足できるものではなかつたにせよ、かなり全日空の立場、利益を擁護する内容となつたこと、若狹が昭和四七年一〇月二八日の全日空幹部役員会の後、被告人らに金員を丸紅の手で供与させるべく丸紅側に申し入れるよう指示した際、藤原に対し「自民党の主だつた方々にお礼をしたいので丸紅に話してくれ。金は丸紅でもロツキードでもどちらが出してくれてもいいので丸紅に任せなさい。お礼を渡すとき全日空から持つてきたと必ず言つてくれるよう丸紅に話してください」と述べ、この金員について「お礼」という表現をしているところ、前述のような請託とこれを受けて被告人が運輸大臣通達作成作業の過程で全日空のため尽力した経緯、若狹が、検察官に対する昭和五一年八月一六日付供述調書において、「佐藤政務次官には、種々お願いし、近距離国際線や、国内ローカル線のダブル・トラツクの件や、特に大型ジエツト機の幹線導入時期などについて、全日空の立場を理解願い、同次官が私のお願いを聞き入れてくれ、運輸大臣通達に盛り込むという形で決着をつけてくれたことは、全日空にとつて極めて有り難いことであつたので、そのお礼をしなければならないと考えていた。」と述べていること、及び右の件以外に全日空としては被告人の世話になつた格別の証拠のないことを総合すれば、右の「お礼」とは、右請託に関連する被告人の全日空のための尽力に対する謝礼の趣旨に他ならないと認めざるをえないこと、そして、若狹の右指示にかかる被告人を含む政治家六名への金員供与の話は藤原により丸紅関係者に伝えられているのであるが、この金員の趣旨についても、単なるお披露目でも単に将来全日空のためよろしくというだけの趣旨のものではなく、L―一〇一一の件でお世話になつた方への全日空のお礼であることが藤原から松井に明確に伝えられ、かつ、金員供与の際に相手先にも全日空のお礼であることを明示してほしいと藤原から松井に念を押しており、したがつて、松井、大久保、伊藤、副島らにおいては、被告人らの具体的にいかなる行為に対するお礼であるのかは知りえないところであつたにせよ、この金員が、被告人らの何らかの行為に対する全日空のお礼の趣旨を含むものでありその授受が秘匿を要する性質のものであることを十分に了解していたこと、副島が被告人に本件金員を供与した際、被告人に対し「この度全日空がお礼を差し上げるということで預かつてまいりましたものをお届けにまいりました。」と述べ、本件金員が全日空の被告人に対するお礼であることを明確に伝えていること((若狹の検察官に対する昭和五一年八月九日付及び同年同月一六日付各供述調書、藤原の検察官に対する同日付供述調書、伊藤の検察官に対する同年同月九日付供述調書謄本、副島の検察官に対する同年同月同日付供述調書及び大久保の原審証言等により、これらの事実は優にこれを認めることができる。))、本件金員が二〇〇万円という、到底単なる儀礼的なお披露目とは認められない金額であることを併せ考えると、以下の(b)ないし(d)に述べる点を考慮に入れても、本件金員が右請託に関する謝礼の趣旨を含んだもの、すなわち賄賂であることは優に肯認できるところといわなければならない。
また、これらの事情に加えて、本件金員の供与が前記通達示達後わずか約四ヶ月後になされていることにかんがみれば、本件金員受領当時なお被告人が右通達案作成作業において全日空の請託に応え、全日空のため尽力してやつたという認識、いいかえると全日空のために一肌脱いでやつたという気持を有していたであろうことは推認するに難くはないこと、現に被告人は副島から本件金員を全日空のお礼である旨明示してさし出された際、本件金員の趣旨について副島に何ら問いただすことなく、単に「有難う。ご苦労さんでした。」といいながら受領していること、本件金員の授受については領収証が交付されていないのみならず、被告人が副島にその要否さえたしかめていないこと、本件金員については政治資金規正法の記帳、報告もなされていないことを併せ考えると、被告人が副島から本件金員を受領した際被告人が本件金員が右通達案作成作業において若狹らの請託を受けて全日空のために尽力したことに対する謝礼の趣旨を含むものであることを察知、了解したものと認めざるをえないというべきである。
(b) 本件金員は供与先等との関連からして過去の行為に対する報酬の趣旨を含んでいないとの論旨
弁護人らは、『若狹、藤原は本件金員の供与先、供与金額を決定するにあたり、現に被告人ら六名の政治家の当時の役職の格に着目して決定しているのであるから、被告人の場合も右供与の時点で被告人が自民党政調会交通部会長であつたことによつて供与の対象とされたのであり、したがつて、本件金員には被告人の過去の何らかの行為に対する謝礼の趣旨は包含されていない』と主張する。
たしかに、若狹は藤原とこの件について談合した際には、被告人を含む六名の政治家について、それらの者が現に占めている役職に着目して供与すべき相手方と供与金額とを下相談しているのであり、また右六名の者が当時占めていた役職がいずれも航空行政の運用や自民党の航空政策の決定等に直接、間接に関与し影響を及ぼしうる地位であつたことにかんがみれば、若狹が右六名の者に金員を供与することを決意した気持の中には、将来全日空のため好意ある取扱いを得たいという心理が働いていたであろうことは所論指摘のとおりであろうけれども、このことは、原判決が詳細に説示しているとおり、本件金員が本件請託に関する謝礼の趣旨を包含していることと何ら矛盾抵触するものではないのである。そもそも、将来においても好意ある取扱いを得たいという趣旨と、過去の一定の行為に対する謝礼という趣旨とは二律背反的なものではなく、むしろ過去における一定の行為に対する謝礼というものは、将来においても好意ある取扱いを得たいという底意と不可分的に結びついている場合が一般的にいつても少なくないのであり、また、過去の何らかの行為に対する謝礼をするにあたり、その謝礼の内容をきめるについて相手方の現在の地位、役職などいわゆる格を考慮することも一般に行なわれているところというべきであるから、相手方の現在の役職に着目して決定されているから過去の行為に対する謝礼ではありえないとする所論は採用できない。
(c) 二階堂、佐々木、福永、加藤に供与され、竹下、丹羽、保利、古屋らに供与されていないことについての論旨
また、弁護人らは、『従来全日空がさほど世話にもなつていない二階堂、佐々木、福永、加藤にも金を配つていることや本件通達が作成された当時の官房長官竹下登、運輸大臣丹羽喬四郎、自民党幹事長保利茂、自民党政調会交通部会長古屋亨らに被告人に対すると同様の金が交付されていないことなどからしても、本件金員が請託に関する謝礼であるとする原判決の認定はこじつけであることは明らかである』と主張する。
被告人を含む六名の政治家に渡された金員の趣旨、ニユアンスが相手によつてそれぞれ微妙にちがうこともありうるのであるから、その趣旨は被供与者毎に個別的に判断すべきなのであり、右六名のうち二階堂、佐々木、福永、加藤に渡された金員が過去の行為に対する謝礼の性格を有しておらず、あるいは過去の行為に対する謝礼の性格がきわめて稀薄なものであつたにせよ、このことが直ちに被告人に対して供与された本件金員が本件請託に対する謝礼の性格をもたないことを結論づけるものではないというべきである。また、原審で取調べられた関係各証拠によれば、橋本についてはもとより、二階堂、福永、加藤らについても、全日空は国際線進出問題、運賃問題等航空政策に関する種々の陳情、働きかけを従前に行なつていることが窺われるのであるから、これらの者に対し供与された金員も過去の行為に対する謝礼の趣旨を含んだものであつたと認められるのであり、この点からしても前段の所論は正鵠を得ないものというべきである。
所論後段指摘の点も前述の若狹の検察官に対する供述記載に照らせば、同人が被告人に対しお礼をしなければならないと考えるほどに特に世話になつたと供述しているのであるから、竹下ら四名に金員をおくつていないことをもつて本件金員が過去の行為に対する謝礼であることを否定するに足りる事情とは認められず、原判決のこの点に関する認定に疑いをさしはさましめる事情とはいえない。右主張はいずれも採用できない。
(d) 丸紅の裁量権についての論旨
弁護人らは、『被告人を含む政治家六名に対する供与金額等について全日空側が丸紅側に広汎な裁量権を与えていることからしても、本件金員が全日空からの本件請託に関する謝礼でないことは明らかである』と主張する。
たしかに、原審で取調べられた関係各証拠によれば、これら六名の政治家に対する供与金額については、当初、若狹との談合にもとづいて藤原から松井に示された案では、橋本登美三郎、二階堂進各五〇〇万円、佐々木秀世三〇〇万円、福永一臣、加藤六月および被告人各二〇〇万円となつていたが、右の案は確定的な全日空側の要求としてではなく、丸紅側の意向により修正することをも許容する含みを残したものとして松井に提示されたこと、したがつて、松井が藤原との相談に際し「全日空は案外安いんですね。」といつたこともあり、藤原から松井に対し、右のランク付けにしたがい丸紅側の意向で五〇〇万円を七〇〇万円に、三〇〇万円を五〇〇万円に、二〇〇万円を三〇〇万円に引上げてもらつてもよく、また、福永一臣については一ランク上げて佐々木秀世と同額にすることも検討してほしい旨を申し向けたこと、これを受けて松井は大久保に対し、「六名に合計三〇〇〇万円を七・七・四・四・四・四の比率で配分する」旨伝えたが、これは福永一臣について一ランク上げて藤原の申し出た金額の高い方をとれば総額が三〇〇〇万円となるため、その配分はまだ未確定であつたものの、右資金の調達を急ぐ必要上とりあえず右のような配分比率を伝えたものであると認められること、及びその結果最終的には丸紅側において福永一臣については一ランクを上げて佐々木秀世と同額とする他は当初の全日空の申出どおりとすることとし、ロツキード社から受取つた三〇〇〇万円から右六名に渡すべき二〇〇〇万円をさしひいた一〇〇〇万円は丸紅から当時の内閣総理大臣田中角栄に供与することとしたことがそれぞれ認められるのであるが、このように全日空側で丸紅側の意向をも汲み、かつ、丸紅側に最終的な配付金額の決定を委ねたのは、一つは、全日空においては従来このように政治家に穏密裡に金を渡すということをした経験がなく、いわゆる相場がよくわからなかつたことと、今一つは、全日空からの金とはいえ、丸紅あるいはロツキード社の負担において丸紅の手で配付させるものである以上、全日空としては一応の金額を提示するにとどめ最終的な金額の決定を丸紅側に委ねる形で丸紅側に話をきり出す方が穏当であろうとの配慮が働いたこととによるものと認められるのであり、しかも、全日空側の申出は供与先と供与金額とについて丸紅側に全面的な裁量権を与えたものではなく、被告人を含む右六名に対しては丸紅側の意向により供与先からはずすことまでは許容されておらず、また、その場合供与金額も橋本、二階堂各五〇〇万円、佐々木三〇〇万円、被告人、福永、加藤各二〇〇万円の線を下廻ることは許容されていない趣旨のものであつたのであるから、その余の点について丸紅側にある程度の裁量が許されていたからといつて、そのことが、本件金員に本件請託に関する謝礼の趣旨が包含されていることを否定し、あるいはこれに抵触するものでもないというべきである。右主張も採用できない。
(e) 営利会社は約束をしていない場合には過去の行為に対して謝礼を出すことはない旨の論旨
また、弁護人らは、『営利会社は営利の追及を目的とするものであるから、将来よろしくという趣旨で金を出すことはあつても、金銭授受の約束のない場合過去に世話になつたからといつてこれについて謝礼を出すことは考えられない』とも主張するけれども、たとえ営利の追及を目的とする会社であつてもその目的を円滑に実現するために金銭授受の約束のない場合でも過去に世話になつたことについて謝礼をすることはいくらでもあることであるから、右主張は採用のかぎりではない。
(f) 若狹がじ後に本件金員配付の確認をしていない旨の論旨
次に、弁護人らは、『若狹が被告人を含む政治家六名に対して丸紅側の手で金員の配付が実施されたかどうかについて、じ後に丸紅側に確認もしていないことからしても、若狹がこの件についてさして重要視していなかつたこと、すなわち本件金員が本件請託に対する賄賂ではなかつたことは明らかである』と主張する。しかしながら、原審で取調べられた関係各証拠によれば、若狹は昭和四七年一〇月三〇日の午前中に藤原からこの件について丸紅側が了承した旨の報告を受けながら、同日夕刻全日空に来社した大久保に対しこの件について念を押しており、さらに大久保が同年一一月上旬ころに全日空に来社した際にも、この件について、「あのことはやつてくれましたか。」と確認していることが認められるのであり、これらの事実からすれば、若狹が被告人らに対する本件金員等の供与の実現について強い関心を抱き、これを重要視していたことは明らかであり、弁護人の右主張はことさらに関係証拠を無視した前提を欠くものという他なく、採用できない。
(g) 副島の捜査段階における供述の信用性についての論旨
弁護人らは、『原判決の依拠する副島の検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書の「この度全日空がお礼を差し上げるということで預つてまいりましたものをお届けにまいりました。どうぞお受取り下さい。」と被告人に述べた旨の供述記載は、同人の原審公判廷における、全日空から預つたものをお届けにまいりましたと述べたにとどまる旨の証言により覆えされており、右供述調書の供述記載は取調検察官の誘導、押しつけによる供述に他ならないことは明らかにされているのであるから、原判決が副島の検察官に対する供述調書の供述記載を信用したのは証拠の評価を誤つたものである』と主張する。
そこで、副島のこれらの供述のいずれを信用すべきかについて吟味することとする。
副島は、原審公判廷において、大筋においては検察官に対する供述調書の記載とほぼ同じ内容の供述をしているのであるが、六名の政治家に対して金員を届けることに関する伊藤の指示内容、供与の趣旨について被告人に申し向けた口上の内容、これらの金員供与の趣旨についての副島自身の認識内容、田中角栄に対する一〇〇〇万円の供与の決定された経緯については、右供述調書の記載と異なつた趣旨の供述を原審公判廷においてしているのである。そこで副島の原審公判廷における証言の供述内容や供述態度をつぶさに検討すると、副島が配付してまわつた金員の被告人以外の供与先について供述をしぶり、裁判官の指示により供述するにいたつたものの、口を濁し、よどみつつ供述していること、本件三〇〇〇万円の供与の趣旨に関する伊藤の指示内容についての供述が捜査段階と公判段階とで相反している点について、副島が原審公判廷で何ら納得のできる説明はしておらず、一方で「お礼と云つてないのはおかしいと云われ、だんだん考えて、これは上の方がそう云つているというんだつたら、そう云わないともう通らないんじやないかと、思つた」旨供述しながら、他方では「検事が勝手に調書に書き入れた」旨これと矛盾する供述をしており、しかも、この点に関する原審の証言内容の骨子は、「全日空から依頼された件は、やむを得ない事情があるようだ。」という説明があつたのみで、「全日空からのお礼という言葉はありませんでした」「確実なことは、全日空から預つているものであることを述べて先生に渡すようにとの指示があつた」というものであるが、この金員配付を引きうけたことにつき副島証言によれば屈辱感から立腹したという当時丸紅の秘書業務を統轄する立場にあつた伊藤が右金員の趣旨やその供与を丸紅が引受けざるをえなかつた事情を全く了知しないまま副島証言によれば「先生方にうちの方で届けざるをえないとすると君一人では大変だし気の毒だから俺も手伝う。」といつて自らその金員の一部の供与にあたつたり、副島にその金員の一部の供与を指示したということは、不自然きわまりないものであること、被告人の応答についての右供述調書の記載に関し、副島は、原審公判廷で、「全て絵画的に出さないと通らないという感じがして、絵画的に思い出せば思い出せるものだという発言もあり、すべて埋めつくした。そういうところから、そういう言葉が出てきているんじやないか。」と述べているのであるが、同時に「先生が何とおつしやつたか全然思い出せない。」「検事が勝手に調書に入れたかどうかも今の記憶では思い出せないし申上げられない。」とも述べ一貫しない供述をしていること、副島がこれらの金員の趣旨について原審公判廷で供述するところも、「政治献金であると思つた。」というのであり、その理由として、「大久保自身(政治献金という)表現を使つたような記憶がある。」とか「大久保さんが、この金で自分達(全日空)の顔を広くする政治献金をするんだという意味のことを言われた。」というのであるが、これらの供述は大久保の原審証言とは明らかにくいちがつており、そもそも後ろめたさのない政治献金であると副島が認識していたのであるならば、副島としては当然領収証を徴すべきであつたのに、被告人らに対し領収証の交付さえ要求していないこと、その反面「よそのお金で領収書がないこと、直接先生に渡せといわれている点で普通の政治献金とはちがうと思つた」旨の証言もしていることなどの諸点が認められるのであり、これらの諸点を総合すれば、副島の捜査段階における供述と原審公判廷における供述とが相反する部分については、同人の原審公判廷における供述が信用できないものであると認められる。
これに反し、副島の検察官に対する右供述調書の供述記載は、記憶していないことや確定的な記憶がないことについては明確に区別して供述していることに徴しても、同人が慎重、細心に供述したものであることが優に肯認できること、所論は右供述記載が検察官の誘導、押しつけによるものであるというのであるが、捜査段階においてこのようなことが全くなかつたことは原審証人友野弘の証言により明らかであるのみならず、このことは、副島が右調書において、「大久保さんはこれまで見たことのない様な実に不愉快そうないやな顔をしておられ私に『全日空の藤原という奴は嫌な奴だ。嫌なことを頼んできやがつたよ。ロツキード社から金をとつて自分のところの代議士先生にこういう風に届けろというんだよ。』と云いどこから取り出したかはさだかでありませんが掌大の紙に書いたメモを見せてくれました。」「私は、よその会社が代議士先生に渡す金を丸紅が届けるなんてとんでもないと思い一瞬唖然としてしまいました。なるほど秘書課は普段代議士先生方にいわゆる政治献金をしておりますが、それは丸紅の仕事としてやつていることで会社の表の経理から支出しているとはいうものの関係者以外には知られたくない事柄である訳でよその会社でも同じことだろうと思つていましたから大久保さんの話を聞いて驚いた次第です。そこで私は『それは本来全日空がやるべきことではありませんか。金を預かるぐらいなら結構ですが先生方に渡すとなると伊藤さんの了解をとつた上でないと駄目です。私の一存では決められません。』と云いました。すると大久保さんは『僕からも伊藤君に話すつもりだが先ず君からよく話しておいてくれ。』と云い、リストを持つて秘書課から出て行つたのです。」「伊藤室長は不気嫌な顔で『そんなことは駄目だ。』と云いましたが、直ぐに『しかし、まあ困つたなあ。』と云い、不承不承認めてくれました。」「三〇〇〇万円を秘書課の責任で全日空の関係代議士先生に配布しなければならないと思うと非常に気が重くなりどうやつて配つたらよいかと思つて嫌な気分になりました。」「私は福永先生や佐藤先生に金を届ける車の中で一人きりになつたとき考えるともなく考えました。飛行機を買うにはこんなことをしなくてはいけないのだなあ。この様に金を渡せばロツキードのエアバスがスムーズに買えるんだなあ。エアバスは確かに大きな買い物だから競争も激しいしどのエアバスに決めるかは大変な問題なんだろうな。ロツキードのエアバスを買うことに全日空が決めたけれどそこに行き着くまでは色々な障害があつて大変だつたんだろうな。どのエアバスを買うかということは国の交通政策にもかかわりあいのあることなんだろうし、私なんかには判らない複雑な問題があつたんだろう。私が金を届けるように命ぜられた四人の先生方や橋本、二階堂両先生は全日空がロツキードのエアバスを買うについて色々な障害を取り除いたり、のり越えたりするため全日空から頼まれて色々お骨折りをして下さつた方達なんだろうなあ。だからこの金はお骨折を下さつたお礼なんだろうし、今後ともよろしくお願いしたいということで渡すことにしたんだなあ。しかし、こうなるとお金は俗に云う賄賂ではないか。なんだつて丸紅の秘書課長の私が全日空の使いなどをしなければならないのだろう。大体全日空はずるいよ。自分達で手を汚さないで私達にこんなことをやらせるのはどう考えてもずるい。しかし買つてもらう方の側からは文句も云えないのだろうし、伊藤室長も嫌な気持で金を渡すことに承諾したに違いない。何はともあれ頼まれた以上は早く渡してこんな嫌なことは早く忘れてしまいたいものだなどととりとめもなく考えたのです。」などと、全日空からこの話を持ち込まれた際の大久保や伊藤の態度や副島自身の気持について述懐するところは、加藤六月に供与する分について副島が松井と押問答しているくだりとともに、全日空にトライスターを購入してもらうためには、全日空の要求にしたがい、このようなきたない仕事をも引受けざるをえなかつた副島を含む丸紅関係者の苦衷、困惑、不快感を吐露しているものであり、真の体験にもとづく供述のみが有する迫真性を備えていると認められること、副島がクラツターから金を受取つた状況や被告人らに金を配つた状況について図面まで書いて具体的に供述していることによつても、十二分に裏付けられているところというべきであること、副島の右供述調書のこの点に関する供述は、大久保の原審公判廷における「全日空側と直接交渉に当たつていた松井から、今私は藤原さんと会つている。(全日空では)明日L―一〇一一を決定したいと思つているが、それに先立つて全日空からこの件でお世話になつている方々にお礼をしたいんだということで……との電話報告を受けた」旨の証言(同人は、弁護人の反対尋問に対しても「お礼」という言葉が出たことは間違いない旨繰り返し明言している。)や、伊藤の検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書中の「松井君が私に『今度トライスターに決まつたことで世話になつた先生方に全日空からお礼をすることになりました。……』と説明し始めました。」とか、「大久保常務から『橋本幹事長などに金を届ける際には全日空からのお礼であるときちつと云つて下さい。』と云われた記憶があります……」などの供述記載、若狹の検察官に対する供述調書中「お礼を渡すとき全日空から持つてきたと必ず言つてくれるよう丸紅に話してくださいと藤原に命じた。」との部分ともよく符合していること、そもそも副島としては、検察官に対して右供述をするにあたり、己れのこの点に関する供述が被告人の罪責に決定的な影響を及ぼすものであることを十分に認識しつつ供述したであろうことは事柄の性質上疑いを容れないところというべきであり、副島が被告人に不利益な虚構を作為してまで被告人をおとし入れなければならないような事情も全くないことなどにかんがみるとき、副島の検察官に対する右供述調書の供述記載が高度の信用性を有することは明らかである。
所論は、到底信用しえない副島の原審公判廷における供述との相反を理由に同人の検察官に対する供述調書の供述記載の信用性を攻撃するものであり、採用しえない。
なお、弁護人らは、大久保の右原審証言について、高令のため記憶の欠落している部分も少なくなく信用性の乏しいものであると主張するが、右証言をつぶさに通読すれば、同人が、松井を通じて全日空から地上整備、エンジン保障についての要求、一機五万ドルのリベートの要求とともに本件に関する要求をきき、ホテル・オークラに赴きコーチヤンにこれらの全日空の要求を伝えた経緯や、クラツターから金を受取つた際の状況について詳細克明に供述しているのみならず、大久保自身の経歴、当時の丸紅の機械第一本部の内情、全日空へのトライスター売込みの経緯、大阪におけるロツキード社のデモフライトの状況、競争相手であるダグラス社の売込みの状況等についても鮮明な記憶にしたがい明確に供述しており、弁護人側の執拗な反対尋問によつても主尋問に対するこれらの証言内容がいささかもゆるがされていないことなどに徴し、弁護人らの右主張は到底採用できない。
(h) 被告人が本件金員を選挙資金たる政治献金と理解したとの論旨
弁護人らは、『総選挙を間近に控えた時期でもあり、被告人は本件金員を選挙資金たる政治献金の趣旨に理解して受領したものであるとか、丸紅が昭和四七年七月に行なつたトライスターのデモフライトに被告人を招待してくれたことがあり、丸紅がトライスターの総代理店であつたところから、丸紅からもつてきた全日空がトライスター購入を決定したことのお披露目ないしは政治献金、あるいは丸紅と全日空が共同してもつてきた右のような趣旨の金であると認識したものである』と主張するけれども、前判示のように、本件金員は副島の「全日空のお礼」である旨の口上とともにさし出されているのであり、そもそも右口上からして、被告人が本件金員について単なる政治献金とかお披露目と理解することも、丸紅からの金あるいは丸紅と全日空から共同してもつてきた金と理解することもありえないというべきであるし、また、本件金員が全日空の表の経理から支出される正規の政治献金であるとするならば、領収証の交付がなされなければ全日空が経理上困る筈であるし、いわんや本件金員は全日空関係者からではなく、丸紅の副島を介して受取るものであることを併せ考えると、当然領収証の交付がなされなければならないのに、前述のように本件金員については領収証の交付はないのみならず、被告人が領収証の授受の要否を副島にたしかめることさえしていないのであり、このことは、被告人も副島も本件金員授受の際に本件金員がその授受さえも秘匿すべき、いわゆるやましい性質のものであることを互いに十分に了解しあつていたために他ならない(この点は、藤原が検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書において、若狹が丸紅あるいはロツキードの負担において被告人を含め多くの政治家に金員を贈ることにした点について、「さすがに社長はうまいことをやるなあ。今の時期にこういうことをいえば丸紅も嫌とはいわんだろうし、さすがは社長だなと思つた」、「全日空としては他人のふんどしで相撲をとるようなもので手を汚さなくてもすむと思つた」旨、若狹が検察官に対する同日付供述調書において、「私はこのような金をさしあげることは悪いことで人に知られては困るものでありましたので、できるだけ自分の手を汚したくないという気持があつた」旨それぞれ供述していることや、副島が検察官に対する供述調書で、本件金員を含む三〇〇〇万円の金について、「俗にいうわいろであり、早く渡してこんな嫌なことは早く忘れてしまいたい」旨、全日空にトライスターを購入してもらうためにはこのような全日空の要求をも呑まざるをえない丸紅側の困惑した気持、強い不快感を吐露述懐しており、伊藤も検察官に対する右供述調書において、この三〇〇〇万円について、「裏の金であり領収証をもらうべき性質のものではないと思つた」旨供述しているところからも十二分に裏付けられているといわなければならない。)。
現に本件金員については政治資金規正法の記帳も報告もなされていないことからしても、被告人がこれを政治献金として理解していなかつたことは明らかである。また、前述のように二〇〇万円という金額からして、本件金員が単に儀礼的なお披露目ではありえないことは被告人においても本件金員授受当時十分認識していたものと認めるの他はない。右主張は採用できない。
(i) 政治資金規正法との関係についての論旨
また、弁護人らは、『昭和五〇年改正前の政治資金規正法の運用は現行法に比べ緩やかであつて、その記帳、報告のないことをもつて、政治資金でないと断ずることはできない』とも主張するが、本件金員受領当時も現在と同様に政治団体に対する寄附については記帳、報告が義務づけられていたのであり、前述のように本件金員については領収証さえ交付されていないのみならず、そもそも本件が明るみに出るに及び、被告人は本件金員を受領したことを一貫して否認し、本件金員の趣旨やその認識について何ら納得のできる説明をしていないのみならず、多数の関係者を巻き込んで虚偽のアリバイ工作が行なわれ、被告人自身が副島と面会したことさえもかたくなに否認していることは、本件金員についていかに授受を秘匿すべき、後ろめたい金であるかを十分に認識していたことを物語つているといわざるをえず、被告人がこれを恥じるところのない政治献金であると認識していたなどとは到底認めることはできない。右主張もまた採用できない。
(j) 二〇〇万円が多額ではない旨の論旨
弁護人らは、原判決が「本件金員が二〇〇万円という多額の現金であつて、被告人佐藤がかかる金額を全日空から提供されたことはかつてなかつたこと……、本件金員の受領につき政治資金規正法の記帳、報告がなされていないのはもちろん、領収証すら交付せず、授受に際し領収証の要否が話題にも出なかつたこと……等の事実は、同被告人が本件金員を賄賂であると認識していたことを裏付けるものとみられる……」と判示している点について、『二〇〇万円が多額かどうかは人によつて受止め方はまちまちであり、政治家として日常少なからぬ政治献金を受領している被告人には必ずしも多額とは思わなかつたであろうし、また、領収証を渡していない点をもつて直ちに本件金員が賄賂であるときめつけるのは論理の飛躍も甚だしいというべきである』と主張する。
しかしながら、昭和四七年当時の二〇〇万円という金額が被告人にとつてとるに足りない少額であつたとは当審における被告人の供述に鑑みても到底認められないところというべきであり、現に被告人は本件の前後にこれほどの金額を全日空から提供されたことはなかつたことに徴しても、この点に関する弁護人の主張がとるをえないものであることは明らかである。また、本件金員の授受について領収証の交付がなされていないことが本件金員の趣旨及び被告人の本件金員の趣旨についての認識を認定する上で看過することのできない重要な一事情というべきことは前述のとおりであり、原判決がこの点を重視したのはもとより正当であるというべきであり、この点に関する弁護人の右主張も採用できない。
(k) 若狹の本件金員に関する認識と被告人のその点の認識との関連についての論旨
また、弁護人らは、『仮に若狹の気持としては、請託に関する謝礼として被告人に交付するつもりであつたとしても、若狹の右の気持なり意図なりは同人の内面にとどまつており、藤原、松井、大久保、伊藤、副島らを通じて被告人に伝達されていなかつたのであるから、被告人がこの点について若狹の右の気持なり意図なりについて認識を持ちうる筈がなかつた』と主張する。
しかしながら、前述のように、若狹の検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書及び藤原の検察官に対する同日付供述調書中のこの点に関する各供述記載が単に当時の若狹の内心の気持を表現したにとどまるものではなく、若狹の藤原に対する指示内容に他ならないことは右各供述記載からして明らかであるし、しかも、右指示における「お礼」「しかるべき挨拶」という表現が、同人らにおいて、供与されるべき金員が若狹の請託にもとづく右通達具体化作業における被告人の全日空のための尽力、骨折りに対する謝礼に他ならないことを了解し合うに十分なものというべきであり、右の趣旨で金員を被告人に供与することについての同人らの右共謀の内容は、その後原判示のような経過をたどつて最終的には副島により実現されているのであるが、前判示のように、同人が被告人に対し本件金員を渡すに際して述べた「この度全日空がお礼をさしあげるということで預かつてきた」云々の口上により、若狹と藤原との右共謀における供与されるべき金員の趣旨は被告人にも十分に伝達されているというべきであるから、弁護人らの右主張もまた排斥を免れない。
(l) 原判決の説示に齟齬があるとの論旨
さらに、弁護人らは、『原判決が全日空の請託を必要とする状況を認定し、さらに「被告人が右請託を実現するために運輸省航空局と終始意見対立しながら、航空局を押さえこみ、全日空の各請託を実現した」旨判示し、被告人がことさら全日空寄りの偏頗な行政、すなわち不当な職務行為を行なつたことを強調するような説示をしながら、他方「量刑の事情」の項においては、「被告人は、本件各請託を受けたとはいえ、殊更不当な職務行為をなしたものとは認められないこと、本件各職務行為に際しては賄賂に対する対価としてこれを行うとの意思はなかつたものと認められること、本件各賄賂は、被告人の方でこれを要求したりあるいはその供与方を暗示したりしたものではなく、若狹らの方で丸紅を介して一方的に提供したものであること」と判示しているのであり、この点において矛盾した、少なくとも首尾一貫しない認定をしているといわざるをえず、このことは原判決が本件金員の賄賂性と被告人の本件金員についての賄賂性の認識を肯定した事実認定に無理があることを窺わせるに十分な事情というべきである』と主張する。
しかしながら、原判決は「罪となるべき事実」や「弁護人の主張に対する判断」において、本件通達作成作業の過程において、被告人と運輸省事務当局との間に終始意見の対立があつたことを客観的な事実としてつぶさに認定説示しているけれども、この意見対立につき、運輸省事務当局を全面的に是とし、被告人を全面的に否とするとか、被告人が偏頗不公平であつたと断ずるなど被告人の行動にいささかの道義的評価も加えているわけではないのである。
弁護人の指摘する原判決の「量刑の事情」の説示の趣旨も、本件通達作成作業において被告人がとつた態度は、事柄が高度の政治的、行政的裁量に委ねられるべき航空政策にかかるものであるだけに、被告人の東亜国内航空寄り、全日空寄りの姿勢、職務執行について裁判所が航空行政上の観点から当否を論ずべきものではないとの裁判所の謙抑的な態度を表明したものに他ならないと理解されるのであつて、両者との間に何ら矛盾、自家撞着はないことは明らかであるから、弁護人らの右主張は、その前提を欠くといわざるをえない。右主張もまた採用できない。論旨はすべて理由がない。
(一五) 法令適用の誤りを主張する控訴趣意
所論は、『刑法一九七条一項後段は、一般的職務権限を異にする職務に転じた後前の職務に関して金銭の収受が行われた場合には適用がないと解すべきであり、このことは、同条に「職務に関し」とあるのは、収受された金員が転職前の職務と関連するものであることのみならず、現在の職務権限との間にも関連性があること、いいかえると、転職前の職務と転職後の職務が一般的職務権限を同じうするものであることを要すると解すべきこと、退職後、在職中の職務に関して金員を収受しても同法一九七条一項の収賄罪は成立せず、在職中に請託を受けて職務上不正の行為をなし、または相当の行為をしなかつたことに関して金員を収受した場合のみ同法一九七条の三第三項により処罰されることとされていることとの権衡、しかも、その刑が単純収賄の場合と同じ三年以下の懲役(昭和五五年法第三〇号による改正後の現行法は五年以下の懲役である。)であり、同法一九七条の三の枉法収賄の法定刑一年以上の有期懲役より一ランク低い法定刑が定められていることは、退職後に従前の職務に関して金員を収受した事後収賄が本来の収賄罪と犯罪類型を異にすることを意味しているというべく、一般的職務権限を異にする職務に転じた後前の職務に関して金銭を収受した場合は、この事後収賄の範疇に属するとみるべきこと、転職前の職務の公正を害したからといつてなぜ転職後の職務の公正をそこない、あるいは転職後の現在及び将来の職務の公正に対する信頼を害するおそれがあることになるのか、その論理的根拠が不明であることなどに徴しても明らかであるというべきであるのに、一般的職務権限を異にする職務に転じた後前の職務に関して金員の収受が行われた本件について、原判決が同法一九七条一項後段を適用したのは同条の解釈適用を誤つたものである』というのである。
そこで按ずるに、本件の如く、公務員が、ある職務行為をしたことに関し一般的職務権限を異にする他の職務に転じた後に賄賂を収受した場合に、刑法一九七条一項の単純収賄罪あるいは受託収賄罪が成立するかどうかという点については、学説上は見解の分かれているところであるが、判例上は所論指摘のものの他、昭和五八年三月二五日二小決定(刑集三七巻二号一七〇頁)を含む一連の最高裁判例がいずれもこれを積極に解していて、すでに確立した判例となつていると認められるのであり、当裁判所も同条同項が右のような場合を除外する趣旨であるとは文理上解しがたいこと、すなわち、同条同項は、職務執行の時点で右職務執行について当該公務員に職務権限があることを要求しているにとどまるのであり、賄賂収受の時点においても当該公務員が職務執行の時点で有していたのと同一の職務権限を有することまで要求しているとは文理上解しがたいこと、所論のようにこれを消極に解するにおいては、公務員の身分を失つた後に賄賂を収受した場合にも、「其在職中請託ヲ受ケテ職務上不正ノ行為ヲ為シ又ハ相当ノ行為ヲ為サザリシ」ときには同法一九七条の三第三項により処罰されることとなつていることと権衡を失することになること(あるいは、所論は、本件の如く、公務員が一般的職務権限を異にする他の職務に転じた後従前の職務に関して賄賂を収受した場合を、公務員が退職後賄賂を収受した場合と同視し、従前の職務に従事していた間に「請託ヲ受ケテ職務上不正ノ行為ヲ為シ又ハ相当ノ行為ヲ為サザリシ」ときのみ同法一九七条の三第三項により処罰されることとなると解することにより、この点の権衡を維持しようとするものとも思料されるが、同条同項が「公務員タリシ者」と規定していることからしても、かかる解釈は同条同項の文理に明らかにもとり、これから逸脱しているといわざるをえない。)、収賄罪は職務執行の公正を確保し、さらに職務執行の公正さに対する社会の信頼を維持することを目的としていると解せられるところ、所論のようにこれを消極に解するにおいては、右の立法目的を全うしえず、そのかぎりでは右立法目的を没却することになるといわざるをえないことなどに徴し、消極説は到底採るをえないものであり右最高裁判例の見解を正当と考えるものである。弁護人らの右主張は採用できない。
なお、弁護人らは、刑法一九七条一項後段の受託収賄罪が成立するためには、公務員において賄賂に対する対価として何らかの職務執行をする意思(対価意思)の存在が必要であるところ、本件では職務執行のときに右の対価意思が存在しないから、受託収賄罪は成立しないとも主張するけれども、受託収賄罪が成立するには賄賂を収受するときにそれが請託に対する対価であることの認識があれば足りるのであつて、請託を受けた時点あるいは請託に応じた職務執行をする時点で弁護人主張のような対価意思の存在が必要であるとは解せられないから(最高裁判所昭和二七年七月二二日第三小法廷判決・刑集六巻七号九二七頁参照)、右主張も採用できない。
したがつて、本件について、昭和五五年法第三〇号による改正前の同法一九七条一項後段を適用した原判決には、所論のような法令適用の誤りはない。論旨はすべて理由がない。
第二検察官の控訴趣意(量刑不当)
所論は、被告人に対する原判決の量刑が、刑の執行を猶予した点において、不当に軽いというのである。
そこで、原裁判所が取り調べた証拠を調査し、当審における事実の取調べの結果を参しやくして検討すると、本件は、運輸政務次官の要職にあつた被告人が、運輸大臣から日航と東亜国内航空との間の清算金問題についてその調整を命ぜられてこれに従事するうち、運輸政務次官の職務権限にもとづき本件閣議了解を具体化した運輸大臣通達を立案作成してこれを今後の航空行政の準則たらしめることを企図するにいたり、運輸大臣から了承を得て右作業を進める過程において、原判示のように、若狹らから、三回にわたり、全日空の近距離国際線進出問題、国内幹線大型機導入問題、東亜国内航空の幹線参入問題、ローカル線のダブル・トラツキング問題等について、右作業において全日空のため有利な取扱いをされたい旨の請託を受け、これらの請託を受け入れてその都度全日空のため有利な立案作業をし、原判示の事情で被告人の立案そのままが大臣通達になつたわけではなかつたが、運輸政務次官辞任後、衆議院議員の身分を保持する間にその謝礼等の趣旨で二〇〇万円という多額の現金を収受したという事案であり、航空行政という公共性のきわめて強い行政部門において、運輸政務次官という要職にあつた者がその職務権限に直接関係する事項についてした犯行であつて、国政に対する国民の信頼、国政にたずさわる公務員の廉潔性に対する国民の信頼を著しく傷つけ、ひいては国政一般、政治一般への国民の不信をも惹起した、およそ一般公務員による収賄とは同列には論じえない重大事犯といわざるをえないこと、右の本件閣議了解具体化作業の過程における被告人の態度は、前判示のように、第二次佐藤案及び第三次佐藤案の内容に端的にあらわれているように、終始日航の犠牲において東亜国内航空及び全日空の権益を拡大しようとするものであるが、こうした被告人の意図は、原判示のような経緯から、そのままの形で運輸大臣通達の中に実現されなかつたとはいえ、全日空についていえば、例えば、全日空の近距離国際線進出問題が、当面は近距離国際チヤーターということで落着したものの、日航との提携等の制約がなくなり、その充実を図るものとされた上、将来近距離国際不定期に進出する含みが残され、国内幹線への大型機導入時期は、その希望どおり昭和四九年度とされたほか、日航の同四七年度の沖縄線大型機導入についても全日空の利益を確保する方途がとられ、東亜国内航空の幹線参入問題も、実働三機程度と押えられ、全日空のシエアにさしたる影響を及ぼさないものとなり、ローカル線のダブル・トラツキングも小規模な範囲にとどまることとなつて、全日空の権益を維持できる見通しとなつたなどかなり運輸大臣通達にとりこまれて全日空にとつて有利な線で決着がつけられており、反面、日航は近距離国際線問題、国内幹線への大型機導入問題や沖縄線大型機導入問題など不利益を受けるにいたつていること、また、被告人の本件閣議了解具体化作業の進め方そのものも日航関係者に対してのみならず、前述のような被告人の意図、やり方に当然のことながら強い反対、抵抗を示す運輸省事務当局関係者に対しても極力秘密にして作業を進めようとするなどきわめて強引と評せざるをえないものであつたこと、すでに原審で取り調べられた関係各証拠により被告人の罪責は明らかであるのに、被告人が事実関係を全面的に否認していたずらに弁解のための虚偽の供述をくりかえしているのみならず、多数の関係者をまきこんでのアリバイ工作が行なわれており、被告人が今なお、己れが潔白であるとして国会議員の地位に執着していることを併せ考えるとき、反省の情は皆無と認めざるをえないことなどを総合すれば、被告人の犯情はまことに芳しくなく、また、政治の金権腐敗が民主政治そのものに対する国民の信頼を失わせ、民主政治そのものを危殆ならしめるものであることにかんがみるならば、被告人の罪責はきびしく追及されなくてはならないというべきである。
したがつて、本件は実刑も優に考えられる事案というべく、被告人に対し刑の執行を猶予した原判決の量刑が軽きに過ぎるとして本件控訴に及んだ検察官の措置はあながち苛酷とはいえない。
しかしながら、本件各職務行為当時被告人に将来全日空から賄賂を収受しようとの具体的な意図まであつたとは証拠上認められず、また、収受した本件金員も被告人が陰に陽に要求したものではなく、全日空の方から一方的に供与されたものであること、被告人が、本件発覚後今日まで多年にわたり被疑者、被告人の立場におかれ、この間国民一般からのきびしい非難の目にさらされ、マスコミの激しい取材攻撃などもあり一日として心安まる日のない生活、屈辱に満ちた生活を送らざるをえなかつたであろうことは推認するに難くはなく、その意味ではかなりの社会的制裁を受けたと評価できることなど被告人のため酌むべき事情をも併せ考えるとき、事後審たる当裁判所としては、原判決の量刑を維持するの他はないと思料する。論旨は理由がない。
よつて、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却し、当審における訴訟費用を負担させることにつき刑訴法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 時國康夫 礒邉衛 日比幹夫)
略語表
一 会社名
略語
会社名
日航
日本航空株式会社
全日空
全日本空輸株式会社
東亜国内航空
東亜国内航空株式会社
丸紅
丸紅株式会社
二 人名
略語
人名(本件請託当時の地位。但し、丸紅関係者及び政治家については、本件金員供与当時の地位。)
若狹
若狹得治(全日空社長)
藤原
藤原亨一(全日空企画室長)
北御門
北御門洋(全日空企画室企画課員)
松尾
松尾静麿(日航会長)
窪田
窪田俊彦(東亜国内航空専務)
町田
町田直(運輸省事務次官)
内村
内村信行(運輸省航空局長)
住田
住田正二(運輸省航空局監理部長)
山本
山本長(運輸省航空局監督課長)
橋本(昌)
橋本昌史(運輸省航空局監督課長補佐)
大久保
大久保利春(丸紅専務取締役)
伊藤
伊藤宏(丸紅常務取締役)
松井
松井直(丸紅航空機部次長)
副島
副島勲(丸紅秘書課長)
二階堂
二階堂進(内閣官房長官)
佐々木
佐々木秀世(運輸大臣)
加藤
加藤六月(運輸政務次官)
橋本
橋本登美三郎(自民党幹事長)
福永
福永一臣(自民党政務調査会航空対策特別委員会委員長)
三 事項名
略語
事項名
運輸大臣通達
運輸大臣丹羽喬四郎が昭和四七年七月一日航空三社に示達した「航空企業の運営体制について」と題する通達
本件閣議了解
昭和四五年一一月二〇日になされた「航空企業の運営体制について」と題する閣議了解